Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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兄弟抄  (5/10) 石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる…
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ず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよし・あるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて・ともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。

各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし、今の世には・なにとなくとも道心をこりぬべし、此の世のありさま厭うともよも厭われじ日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候・眼前の事ぞかし、文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるが・ごとく清絹の大火に・やかるるが・ごとくなりしに・世をいとう人のいかでかなかるらん文永十一年の十月ゆきつしまのものども一時に死人


となりし事は・いかに人の上とをぼすか当時も・かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜたちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみが子となりし・将門・貞当が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。

あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せいと申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをやのしして後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやうと申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人


上件の事をかたりしかば麻子が云くさるにては・わらびは王の物にあらずや、二人せめられて爾の時より・わらびをくわず、天は賢人をすて給わぬならひなれば天・白鹿と現じて乳を・もつて二人をやしなひき、白鹿去つて後に叔せいが云く此の白鹿の乳をのむだにも・うまし・まして肉をくわんと・いゐしかば白ひせいししかども天これを・ききて来らず、二人うへて死ににき、一生が間・賢なりし人も一言に身をほろぼすにや、各各も御心の内はしらず候へば・をぼつかなし・をぼつかなし。

釈迦如来は太子にて・をはせし時・父の浄飯王・太子を・をしみたてまつりて出家をゆるし給はず、四門に二千人の・つわものをすへて・まほらせ給ひしかども、終に・をやの御心をたがへて家を・いでさせ給いき、一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か、されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには棄恩入無為・真実報恩者等云云、言は・まことの道に入るには父母の心に随わずして家を出て仏になるが・まことの恩をほうずるにてはあるなり、世間の法にも父母の謀反なんどを・をこすには随わぬが孝養とみへて候ぞかし、孝経と申す経に見へて候、天台大師も法華経の三昧に入らせ給いて・をはせし時は父母・左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり、此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。

白ひすくせいが因縁は・さきにかき候ぬ、又第一の因縁あり、日本国の人王・第十六代に王をはしき応神天王と申す今の八幡大菩薩これなりこの王の御子二人まします嫡子をば仁徳・次男は宇治王子天王・次男の宇治の王子に位をゆづり給いき、王ほうぎよならせ給いて後・宇治の王子の云く兄位につき給うべし、兄の云く、いかに・をやの御ゆづりをば・もちゐさせ給わぬぞ、かくのごとく・たがいにろむじて、三箇年が間・位に王をはせざりき、万民のなげき・いうばかりなし・天下のさいにて・ありしほどに、宇治の王子云く我いきて・あるゆへにあに位に即き給わずといつて死させ給いにき、仁徳これを・なげかせ給いて又ふししづませ給いしかば、宇治の王子い