Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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御義口伝巻上  (34/43) 此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つ…
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第十一 摂諸大衆皆在虚空の事

御義口伝に云く大衆とは聴衆なり皆在虚空とは我等が死の相なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり生死即涅槃と被摂するなり、大地は色法なり虚空は心法なり色心不二と心得可きなり虚空とは寂光土なり、又云く虚空とは蓮華なり経とは大地なり妙法は天なり虚空とは中なり一切衆生の内・菩薩・蓮華に座するなり、此れを妙法蓮華経と説かれたり、経に云く「若在仏前蓮華化生」と。

第十二 譬如大風吹小樹枝の事

御義口伝に云く此の偈頌の如清凉池と譬如大風と燃大炬火とは三身なり、其の中に譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。

第十三 若有能持則持仏身の事

御義口伝に云く法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり、則の一字は生仏不二なり上の能持の持は凡夫なり持つ体は妙法の五字なり仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり、さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり即の字は即故初後不二の故なり云云。

第十四 此経難持の事

御義口伝に云く此の法華経を持つ者は難に遇わんと心得て持つなり、されば即為疾得無上仏道の成仏は今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。

第十五 我則歓喜諸仏亦然の事


御義口伝に云く我とは心王なり諸仏とは心数なり法華経を持ち奉る時は心王心数同時に歓喜するなり、又云く我とは凡夫なり諸仏とは三世諸仏なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する是なり云云。

第十六 読持此経の事

御義口伝に云く五種の修行の読誦と受持との二行なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり此の経を持つは持なり此経とは題目の五字なり云云。

第十七 是真仏子の事

御義口伝に云く法華経の行者は真に釈迦法王の御子なり、然る間王位を継ぐ可きなり悉是吾子の子と是真仏子の子と能く能く心得合す可きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり。

第十八 是諸天人世間之眼の事

御義口伝に云く世間とは日本国なり眼とは仏知見なり法華経は諸天世間の眼目なり、眼とは南無妙法蓮華経なり是諸天人世間之眼・又云く是諸仏眼目云云、此の眼をくじる者は禅・念仏・真言宗等なり眼等とは目を閉づるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは諸天世間の眼に非ずや云云。

第十九 能須臾説の事

御義口伝に云く能の一字之を思う可し説とは南無妙法蓮華経なり、今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云。

第二十 此経難持の事

御義口伝に云く此の経文にて三学倶伝するなり、虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶に伝うるを名け


て妙法と曰うと、戒とは色法なり定とは心法なり慧とは色心二法の振舞なり、倶の字は南無妙法蓮華経の一念三千なり伝とは末法万年を指すなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉り権教は無得道・法華経は真実と修行する是は戒なり防非止悪の義なり、持つ所の行者・決定無有疑の仏体と定む是は定なり、三世の諸仏の智慧を一返の題目に受持する是は慧なり、此の三学は皮肉骨・三身・三諦・三軌・三智等なり。

       提婆達多品八箇の大事

第一 提婆達多の事

文句の八に云く本地は清凉にして迹に天熱を示すと。

御義口伝に云く提婆とは本地は文殊なり、本地清凉と云うなり迹には提婆と云うなり天熱を示す是なり、清凉は水なり此れは生死即涅槃なり天熱は火なり是は煩悩即菩提なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るに煩悩即菩提生死即涅槃なり、提婆は妙法蓮華経の別名なり過去の時に阿私仙人なり阿私仙人とは妙法の異名なり阿とは無の義なり私無きの法とは妙法なり、文句の八に云く無私法を以て衆生に灑ぐと云えり阿私仙人とは法界三千の別名なり故に私無きなり一念三千之を思う可し云云。

第二 若不違我当為宣説の事

御義口伝に云く妙法蓮華経を宣説する事を汝は我に違わずして宣説すべしと云う事なり、若の字は汝なり、天台の云く「法を受けて奉行す」と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は日蓮に違わずして宣説す可きなり阿私仙人とは南無妙法蓮華経なり云云。

第三 採菓汲水拾薪設食の事