Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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松野殿御返事 
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但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間・昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱うる事は一人なり、念仏申す人は千万なり、予は無縁の者なり念仏の方人は有縁なり高貴なり、然れども師子の声には一切の獣・声を失ふ虎の影には犬恐る、日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし、法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども南無妙法蓮華経の声・出来しては師子と犬と日輪と星との光くらべのごとし、譬えば鷹と雉との・ひとしからざるがごとし、故に四衆とりどりにそねみ上下同くにくむ讒人国に充満して奸人土に多し故に劣を取りて勝をにくむ、譬えば犬は勝れたり師子をば劣れり星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し・然る間邪見の悪名世上に流布し・ややもすれば讒訴し或は罵詈せられ或は刀杖の難をかふる或は度度流罪にあたる、五の巻の経文にすこしもたがはず、さればなむだ左右の眼にうかび悦び一身にあまれり。

ここに衣は身をかくしがたく食は命をささへがたし、例せば蘇武が胡国にありしに雪を食として命をたもつ、伯夷は首陽山にすみし蕨ををりて身をたすく父母にあらざれば誰か問うべき三宝の御助にあらずんば・いかでか一日片時も持つべき未だ見参にも入らず候人のかやうに度度・御をとづれの・はんべるは・いかなる事にや・あやしくこそ候へ、法華経の第四の巻には釈迦仏・凡夫の身にいりかはらせ給いて法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候、釈迦仏の御身に入らせ給い候か又過去の善根のもよをしか、竜女と申す女人は法華経にて仏に成りて候へば末代に此の経を持ちまいらせん女人をまほらせ給うべきよし誓わせ給いし、其の御ゆかりにて候か、貴し貴し。

  弘安二年己卯三月二十六日              日蓮花押

   松野殿後家尼御前御返事


松野殿女房御返事

麦一箱・いゑのいも一籠・うり一籠・旁の物六月三日に給候しを今まで御返事申し候はざりし事恐れ入つて候、此の身延の沢と申す処は甲斐の国の飯井野・御牧・波木井の三箇郷の内・波木井の郷の戌亥の隅にあたりて候、北には身延の嶽・天をいただき南には鷹取が嶽・雲につづき東には天子の嶽日とたけをなじ西には又峨峨として大山つづきて・しらねの嶽にわたれり、猨のなく音天に響き蝉のさゑづり地にみてり、天竺の霊山此の処に来れり唐土の天台山親りここに見る、我が身は釈迦仏にあらず天台大師にてはなけれども、まかる・まかる昼夜に法華経をよみ朝暮に摩訶止観を談ずれば霊山浄土にも相似たり・天台山にも異ならず。

但し有待の依身なれば著ざれば風・身にしみ・食ざれば命持ちがたし、灯に油をつがず火に薪を加へざるが如し命いかでかつぐべきやらん、命続がたく・つぐべき力絶えては、或は一日乃至・五日既に法華経読誦の音も絶えぬべし止観のまどの前には草しげりなん、かくの如く候にいかにして思い寄らせ給いぬらん、兎は経行の者を供養せしかば天帝哀みをなして月の中にをかせ給いぬ・今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。

されば女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

  弘安二年己卯六月二十日               日蓮花押

   松野殿女房御返事


松野殿女房御返事

白米一斗・芋一駄・梨子一籠・名荷・はじかみ・枝大豆・ゑびね旁の物給び候ぬ、濁れる水には月住まず枯たる木には鳥なし、心なき女人の身には仏住み給はず、法華経を持つ女人は澄める水の如し釈迦仏の月宿らせ給う、譬へば女人の懐み始めたるには吾身には覚えねども、月漸く重なり日も屡過ぐれば初にはさかと疑ひ後には一定と思ふ、心ある女人はをのこごをんなをも知るなり法華経の法門も亦かくの如し、南無妙法蓮華経と心に信じぬれば心を宿として釈迦仏懐まれ給う、始はしらねども漸く月重なれば心の仏・夢に見え悦こばしき心漸く出来し候べし、法門多しといへども止め候、法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし、譬へば水の風にうごき花の色の露に移るが如し、何として今までは持たせ給うぞ是・偏へに前生の功力の上・釈迦仏の護り給うか、たのもしし・たのもしし、委くは甲斐殿申すべし。

  九月一日                      日蓮花押

   松野殿女房御返事