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日蓮大聖人・池田大作

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兵衛志殿御書  (1/2) 代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるに…
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兵衛志殿御書

久しくうけ給わり候はねば・よくおぼつかなく候、何よりも・あはれに・ふしぎなる事は大夫志殿と殿との御事・不思議に候、常さまには世末になり候へば聖人・賢人も皆かくれ・ただ・ざんじむ・ねいじん・わざん・きよくりの者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩えば水すくなくなれば池さはがしく風ふけば大海しづかならず、代の末になり候へば・かんばちえきれい大雨大風ふきかさなり候へば広き心も・せばくなり道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ、されば他人はさてをきぬ父母と夫妻と兄弟と諍う事れつしとしかとねことねずみとたかときじとの如しと見へて候、良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに二のわの車をたすけ二の足の人を・になへるが如く二の羽のとぶが如く日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給いぬる御計らい偏に貴辺の御身にあり、又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちに・みだれば大聖人世に出ずべしと見へて候、喩へば松のしもの後に木の王と見へ菊は草の後に仙草と見へて候、代のおさまれるには賢人見えず代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ、あはれ平の左衛門殿さがみ殿の日蓮をだに用いられて候いしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびは・よも切せまいらせ候はじ、くやしくおはすらなん。

人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主・明雲等の真言師等・数百人かたらひて源の右将軍頼朝を調伏せしかば還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ安徳天皇は西海に沈み給う、人王八十二三四隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今・已上四人・座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて平の将軍義時を調伏し給う程に


又還著於本人とて上の四王島島に放たれ給いき、此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師・法華経最第一の釈尊の金言を破りて法華最第二・最第三・大日経最第一と読み給いし僻見を御信用有りて今生には国と身とをほろぼし後生には無間地獄に堕ち給いぬ、今度は又此の調伏三度なり、今我が弟子等死したらん人人は仏眼をもて是を見給うらん、命つれなくて生たらん眼に見よ、国主等は他国へ責めわたされ調伏の人人は或は狂死或は他国或は山林にかくるべし、教主釈尊の御使を二度までこうぢをわたし弟子等をろうに入れ或は殺し或は害し或は所国をおひし故に其の科必ず其の国国万民の身に一一にかかるべし、或は又白癩・黒癩・諸悪重病の人人おほかるべし、我が弟子等・此の由を存ぜさせ給へ、恐恐謹言。

  九月九日                      日蓮花押

  此の文は別しては兵衛の志殿へ、総じては我が一門の人人御覧有るべし、他人に聞かせ給うな。


兵衛志殿女房御返事

銅の御器二給び畢んぬ、釈迦仏三十の御年・仏になり始てをはし候時・牧牛女と申せし女人・乳のかいをにて仏にまいらせんとし候し程にいれて・まいらすべき器なし、毘沙門天王等の四天王・四鉢を仏にまいらせたりし、其の鉢をうちかさねて・かいをまいらせしに仏にはならせ給う、其の鉢後には人も・もらざりしかども常に飯のみちしなり後に馬鳴菩薩と申せし菩薩・伝へて金銭三貫にほうじたりしなり、今御器二を千里にをくり釈迦仏にまいらせ給へば、かの福のごとくなるべし、委しくは申さず候。

  建治三年丁丑十一月七日               日蓮花押

   兵衛志殿女房御返事

兵衛志殿御返事

                    弘安元年 五十七歳御作

                    於身延

みそをけ一給び畢んぬ、はらのけは左衛門どのの御薬になをりて候、又このみそをなめていよいよここちなをり候ぬ、あはれ・あはれ・今年御つつがなき事をこそ法華経に申し上げまいらせ候へ、恐恐謹言。

  六月廿六日                     日蓮花押

   兵衛志殿御返事