Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

神国王御書  (9/10) 国主は理を親とし非を敵とすべき人にて・をは…
1524

五・九・七十一代の四代の座主隠岐の法皇の御師なり、此等の人人は善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・慈覚・智証等の真言をば器は・かわれども一の智水なり、其の上天台宗の座主の名を盗みて法華経の御領を知行して・三千の頭となり・一国の法の師と仰がれて・大日経を本として七重くだれる真言を用いて八重勝れりとをもへるは・天を地とをもい民を王とあやまち石を珠とあやまつのみならず珠を石という人なり、教主釈尊・多宝仏・十方の諸仏の御怨敵たるのみならず・一切衆生の眼目を奪い取り三善道の門を閉ぢ三悪道の道を開く、梵釈・日月・四天等の諸天善神いかでか此の人を罰せさせ給はざらむ、いかでか此の人の仰く檀那をば守護し給うべき、天照太神の内侍所も八幡大菩薩の百王守護の御ちかいも・いかでか叶はせ給うべき。

余此の由を且つ知りしより已来・一分の慈悲に催されて粗随分の弟子にあらあら申せし程に・次第に増長して国主まで聞えぬ、国主は理を親とし非を敵とすべき人にて・をはすべきか・いかがしたりけん諸人の讒言を・をさめて一人の余をすて給う、彼の天台大師は南北の諸人あだみしかども陳隋二代の帝・重んじ給いしかば諸人の怨もうすかりき、此の伝教大師は南都七大寺・讒言せしかども桓武・平城・嵯峨の三皇用い給いしかば怨敵もおかしがたし、今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず・国主用い給わざれば万民あだをなす事父母の敵にも超え・宿世のかたきにも・すぐれたり、結句は二度の遠流・一度の頭に及ぶ、彼の大荘厳仏の末法の四比丘並に六百八十万億那由佗の諸人が普事比丘一人をあだみしにも超へ・師子音王仏の末の勝意比丘・無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり、覚徳比丘がせめられし・不軽菩薩が杖木をかをほりしも・限りあれば此れにはよも・すぎじとぞをぼへ候。

若し百千にも一つ日蓮法華経の行者にて候ならば日本国の諸人・後生の無間地獄はしばらくをく、現身には国を失い他国に取られん事・彼の徽宗・欽宗のごとく・優陀延王・訖利多王等に申せしがごとくならん、又其の外は或は


其の身は白癩黒癩或は諸悪重病疑いなかるべきかもし其の義なくば又日蓮法華経の行者にあらじ此の身現身には白癩黒癩等の諸悪重病を受け取り後生には提婆瞿伽利等がごとく無間大城に堕つべし日月を射奉る修羅は其の矢還つて我が眼に立ち師子王を吼る狗犬は我が腹をやぶる釈子を殺せし波琉璃王は水中の大火に入り仏の御身より血を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり金銅の釈尊をやきし守屋は四天王の矢にあたり東大寺興福寺を焼きし清盛入道は現身に其身もうる病をうけにき彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり小事すら猶しるしあり大事いかでか現罰なからむ。

悦ばしいかな経文に任せて五五百歳・広宣流布をまつ・悲いかな闘諍堅固の時に当つて此の国修羅道となるべし、清盛入道と頼朝とは源平の両家・本より狗犬と猿猴とのごとし、少人・少福の頼朝をあだせしゆへに宿敵たる入道の一門ほろびし上・科なき主上の西海に沈み給いし事は不便の事なり、此れは教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御使として世間には一分の失なき者を・一国の諸人にあだまするのみならず・両度の流罪に当てて日中に鎌倉の小路をわたす事・朝敵のごとし、其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて・仏像・経巻を諸人にふまするのみならず・糞泥にふみ入れ・日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを・とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ、此の事如何なる宿意もなし当座の科もなし、ただ法華経を弘通する計りの大科なり。

日蓮天に向つて声をあげて申さく・法華経の序品を拝見し奉れば梵釈と日月と四天と竜王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給いたりし時・已今当に第一の説を聞きし時・我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をも・やかんと・をもいしに、教主釈尊・多宝・十方の諸仏の御前にして今仏前に於て自ら誓言を説けと諫暁し給いしかば・幸に順風を得て世尊の勅の如く当に具さに奉行すべしと二処三会の衆・一同に大音声を


放ちて誓い給いしは・いかんが有るべき、唯仏前にては是くの如く申して多宝・十方の諸仏は本土にかへり給う、釈尊は御入滅ならせ給いて・ほど久くなりぬれば・末代辺国に法華経の行者有りとも梵釈・日月等・御誓いをうちわすれて守護し給う事なくば・日蓮がためには一旦のなげきなり、無始已来・鷹の前のきじ・蛇の前のかへる・貓の前のねずみ・犬の前のさると有りし時もありき、ゆめの代なれば仏・菩薩・諸天にすかされ・まいらせたりける者にてこそ候はめ。

なによりも・なげかしき事は梵と帝と日月と四天等の・南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値をすてさせ給いて・現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく・雨の空より下るごとく・其の人命終入阿鼻獄と無間大城に堕ち給はん事こそあはれにはをぼへ候へ、設い彼の人人は三世十方の諸仏をかたうどとして知らぬよしのべ申し給うとも・日蓮は其の人人には強きかたきなり、若し仏の返頗をはせずば梵釈・日月・四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし、日蓮が眼をそろしくば・いそぎいそぎ仏前の誓いをばはたし給へ、日蓮が口、○。

又むぎひとひつ・鵞目両貫・わかめ・かちめ・みな一俵給い畢んぬ、干い・やきごめ・各各一かうぶくろ給い畢んぬ、一一の御志はかきつくすべしと申せども法門巨多に候へば留め畢んぬ、他門にきかせ給うなよ大事の事どもかきて候なり。

上野殿御消息

                    建治元年 五十四歳御作

                    与 南条時光

三世の諸仏の世に出でさせ給いても皆皆四恩を報ぜよと説き・三皇・五帝・孔子・老子・顔回等の古の賢人は四徳を修せよとなり、四徳とは・一には父母に孝あるべし・二には主に忠あるべし・三には友に合うて礼あるべし・四に