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日蓮大聖人・池田大作

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種種物御消息  (1/2) 水は寒積れば氷と為る・雪は年累つて水精と為…
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南条殿女房御返事

                    弘安元年五月二十四日 五十七歳御作

                    与 南条七郎次郎女房

八木二俵送り給び候い畢んぬ、度度の御志申し尽し難く候。

夫れ水は寒積れば氷と為る・雪は年累つて水精と為る・悪積れば地獄となる・善積れば仏となる・女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば・あに竜女があとを・つがざらん、山といひ・河といひ・馬といひ・下人といひ・かたがた・かんなんのところに・度度の御志申すばかりなし。

御所労の人の臨終正念・霊山浄土疑なかるべし・疑なかるべし。

  五月二十四日                    日蓮花押

   御返事

種種物御消息

                    弘安元年七月七日 五十七歳御作

                    与 南条平七郎

しなしなのものをくり給びて法華経にまいらせて候。

抑日本国の人を皆やしないて候よりも父母一人やしないて候は功徳まさり候、日本国の皆人をころして候は七大地獄に堕ち候、父母をころせる人は第八の無間地獄と申す地獄に堕ち候、人ありて父母をころし釈迦仏の御身よりちをいだして候人は父母をころすつみにては無間地獄に堕ちず、仏の御身よりちをいだすつみにて無間地獄に堕ち候なり、又十悪・五逆をつくり十方・三世の仏の身より・ちをいだせる人の法華経の御かたきとなれるは・十悪・五逆・十方の仏の御身より・ちをいだせるつみにては阿鼻地獄へは入る事なし・ただ法華経不信の大罪により


て無間地獄へは堕ち候なり、又十悪・五逆を日日につくり・十方の諸仏を月月にはうずる人と・十悪・五逆を日日につくらず十方の諸仏を月月にはうぜず候人・此の二人は善悪はるかにかわりて候へども・法華経一字一点もあひそむきぬれば・かならず・おなじやうに無間地獄へ入り候なり。

しかればいまの代の海人・山人・日日に魚鹿等をころし・源家・平家等の兵士等のとしどしに合戦をなす人人は・父母をころさねば・よも無間地獄には入り候はじ、便宜候はば法華経を信じて・たまたま仏になる人も候らん、今の天台の座主・東寺・御室・七大寺の検校・園城寺の長吏等の真言師・並びに禅宗・念仏者・律宗等は眼前には法華経を信じよむににたれども・其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子なり、源にごりぬれば流きよからず・天くもれば地くらし、父母謀反をおこせば妻子ほろぶ・山くづるれば草木たふるならひなれば・日本六十六ケ国の比丘・比丘尼等の善人等・皆無間地獄に堕つべきなり、されば今の代に地獄に堕つるものは悪人よりも善人・善人よりも僧尼・僧尼よりも・持戒にて智慧かしこき人人の阿鼻地獄へは堕ち候なり。

此の法門は当世・日本国に一人もしりて候人なし、ただ日蓮一人計りにて候へば・此れを知つて申さずば・日蓮・無間地獄に堕ちて・うかぶ期なかるべし、譬へば謀反のものを・しりながら国主へ申さぬとがあり、申せばかたき雨のごとし風のごとし・むほんのもののごとし・海賊・山賊のもののごとし、かたがた・しのびがたき事なり、例せば威音王仏の末の不軽菩薩のごとし歓喜仏のすえの覚徳比丘のごとし、天台のごとし・伝教のごとし、又かの人人よりも・かたきすぎたり、かの人人は諸人ににくまれたりしかども・いまだ国主にはあだまれず、これは諸人よりは国主にあだまるる事・父母のかたきよりも・すぎたるをみよ。

かかるふしぎの者をふびんとて御くやう候は・日蓮が過去の父母か・又先世の宿習か・おぼろげの事にはあらじ、其の上雨ふり・かぜふき・人のせいするにこそ心ざしはあらわれ候へ、此れも又かくのごとし、ただなる時だにも・


するがと・かいとのさかひは山たかく河ふかく・石おほくみちせばし、いわうや・たうじは・あめはしのをたてて三月におよび・かわはまさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず・かつてもたえて・いのちかうにて候いつるに・このすずのもの給いて法華経の御うえをもつぎ・釈迦仏の御いのちをも・たすけまいらせ給いぬ、御功徳ただをしはからせ給うべし、くはしくは又又申すべし、恐恐。

  七月七日                      日蓮花押

   御返事

時光御返事

                    弘安元年七月八日 五十七歳御作

                    与 南条時光

むぎのしろきこめ一駄・はじかみ送り給び畢んぬ。

こくぼんわうの太子あなりちと申す人は・家にましましし時は俗性は月氏国の本主てんりん聖王のすえ・師子けう王のまご・浄飯王のおひ・こくぼん王には太子なり、天下に・いやしからざる上・家中には一日の間・一万二千人の人出入す、六千人はたからをかりき・六千人はかへりなす、かかる富人にておはする上・天眼第一の人・法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給う。

これは過去の行は・いかなる大善ぞとたづぬるに・むかしれうしあり山のけだものをとりて・すぎけるが・又ひえをつくり食とするほどに・飢えたる世なればものもなし、ただ・ひえのはん一ありけるを・くひければ・りだと申す辟支仏の聖人来りて云く・我七日の間食なし汝が食者えさせよと・こわせ給いしかば・きたなき俗のごきに入れて・けがしはじめて候と申しければ・ただえさせよ今食せずば死ぬべしと云う、おそれながら・まいらせつ、此の聖人まいり給いしが・ただひえ一つびを・とりのこして・れうしにかへし給いき、ひえへんじていのことなる、いのこ