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日蓮大聖人・池田大作

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内房女房御返事  (3/5) 王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎さま…
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うらめ、阿難尊者又さぞかしとは答え給うらめ、又万二千の声聞・八万の大菩薩・二界八番の雑衆も有りし事なれば合点せらるらめ、天台智者大師と申す聖人・妙法蓮華経の五字を玄義十巻・一千丁に書き給いて候、其の心は華厳経は八十巻・六十巻・四十巻・阿含経数百巻・大集方等数十巻・大品般若四十巻・六百巻・涅槃経四十巻・三十六巻、乃至月氏・竜宮・天上・十方世界の大地微塵の一切経は妙法蓮華経の経の一字の所従なり、妙楽大師重ねて十巻造るを釈籤と名けたり、天台以後に渡りたる漢土の一切経・新訳の諸経は皆法華経の眷属なり云云、日本の伝教大師重ねて新訳の経経の中の大日経等の真言の経を皆法華経の眷属と定められ候い畢んぬ、但し弘法・慈覚・智証等は此の義に水火なり此の義後に粗書きたり、譬へば五畿・七道・六十六箇国・二つの島・其の中の郡と荘と村と田と畠と人と牛馬と金銀等は皆日本国の三字の内に備りて一つも闕くる事なし、又王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎さまに立てたり、横の三の字は天・地・人なり、豎の一文字は王なり、須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し、天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり、王に二つあり一には小王なり人王天王是なり二には大王なり大梵天王是なり、日本国は大王の如し国国の受領等は小王なり、華厳経・阿含経・方等経・般若経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経は小王なり、譬へば日本国中の国王・受領等の如し、法華経は大王なり天子の如し、然れば華厳宗・真言宗等の諸宗の人人は国主の内の所従等なり、国国の民の身として天子の徳を奪ひ取るは下剋上・背上向下・破上下乱等これなり、設いいかに世間を治めんと思ふ志ありとも国も乱れ人も亡びぬべし、譬へば木の根を動さんに枝葉静なるべからず・大海の波あらからんに船おだやかなるべきや、華厳宗・真言宗・念仏宗・律僧・禅僧等我が身持戒正直に智慧いみじく尊しといへども、其の身既に下剋上の家に生れて法華経の大怨敵となりぬ、阿鼻大城を脱るべきや、例せば九十五種の外道の内には正直有智の人多しといへども、二天・三仙の邪法を承けしかば終には悪道を脱るる事なし。


然るに今の世の南無阿弥陀仏と申す人人、南無妙法蓮華経と申す人を或は笑ひ或はあざむく、此れは世間の譬に稗の稲をいとひ家主の田苗を憎む是なり、是国将なき時の盗人なり日の出でざる時の鼹なり、夜打強盗の科めなきが如く地中の自在なるが如し、南無妙法蓮華経と申す国将と日輪とにあはば大火の水に消へ猨猴が犬に値うなるべし、当時南無阿弥陀仏の人人・南無妙法蓮華経の御声の聞えぬれば、或は色を失ひ或は眼を瞋らし或は魂を滅し或は五体をふるふ、伝教大師云く日出れば星隠れ巧を見て拙きを知る、竜樹菩薩云く謬辞失い易く邪義扶け難し、徳慧菩薩云く面に死喪の色有り言に哀怨の声を含む、法歳云く昔の義虎今は伏鹿なり等云云、此等の意を以て知ぬべし、妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし、毒薬変じて薬となる妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる、玉泉と申す泉は石を玉となす此の五字は凡夫を仏となす、されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり、石変じて玉と成るが如し孝養の至極と申し候なり、故に法華経に云く「此の我が二りの子已に仏事を作しぬ」又云く「此の二りの子は是我が善知識なり」等云云。

乃往過去の世に一の大王あり名を輪陀と申す、此の王は白馬の鳴くを聞きて色も・いつくしく力も強く供御を進らせざれども食にあき給ふ他国の敵も冑を脱き掌を合す、又此の白馬鳴く事は白鳥を見て鳴きけり、然るに大王の政や悪しかりけん又過去の悪業や感じけん、白鳥皆失せて一羽もなかりしかば白馬鳴く事なし、白馬鳴かざりければ大王の色も変じ力も衰へ身もかじけ謀も薄くなりし故に国既に乱れぬ、他国よりも兵者せめ来らんに何とかせんに歎きし程に、大王の勅宣に云く国には外道多し皆我が帰依し奉る仏法も亦かくの如し、然るに外道と仏法と中悪し何にしても白馬を鳴かせん方を信じて一方を我が国に失ふべしと云云、爾の時に一切の外道集りて白鳥を現じて白馬を鳴かせんとせしかども白鳥現ずる事な


し、昔は雲を出だし霧をふらし風を吹かせ波をたて身の上に火を出だし水を現じ人を馬となし馬を人となし一切自在なりしかども、如何がしけん白鳥を現ずる事なかりき、爾の時に馬鳴菩薩と申す仏子あり十方の諸仏に祈願せしかば白鳥則出で来りて白馬則鳴けり、大王此を聞食し色も少し出で来り力も付きはだへもあざやかなり、又白鳥又白鳥と千の白鳥出現して千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴きしかば、大王此の声を聞食し色は日輪の如し膚は月の如し力は那羅延の如し謀は梵王の如し、爾の時に綸言汗の如く出でて返らざれば一切の外道等其の寺を仏寺となしぬ。

今日本国亦かくの如し、此の国は始めは神代なり漸く代の末になる程に人の意曲り貪瞋癡・強盛なれば神の智浅く威も力も少し、氏子共をも守護しがたかりしかば・漸く仏法と申す大法を取り渡して人の意も直に神も威勢強かりし程に、仏法に付き謬り多く出来せし故に国あやうかりしかば、伝教大師漢土に渡りて日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合せて、おろかなるをば捨て賢きをば取り偏頗もなく勘へ給いて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置きて候しを、弘法大師・慈覚大師・智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せ或は月氏に事を寄せて法華経を或は第三・第二・或は戯論・或は無明の辺域等と押し下し給いて、法華経を真言の三部と成さしめて候いし程に、代漸く下剋上し此の邪義既に一国に弘まる、人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し氏子をも守護しがたき故に八十一乃至八十五の五主は或は西海に沈み或は四海に捨てられ・今生には大鬼となり後生は無間地獄に落ち給いぬ、然りといえども此の事知れる人なければ改る事なし、今日蓮此の事をあらあら知る故に国の恩を報ぜんとするに日蓮を怨み給ふ。

此等はさて置きぬ氏女の慈父は輪陀王の如し氏女は馬鳴菩薩の如し、白鳥は法華経の如し・白馬は日蓮が如し・南無妙法蓮華経は白馬の鳴くが如し、大王の聞食して色も盛んに力も強きは、過去の慈父が氏女の南無妙法蓮華経の御音を聞食して仏に成せ給ふが如し。

  弘安三年八月十四日                 日蓮花押

   内房女房御返事