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日蓮大聖人・池田大作

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新池殿御消息  (4/4) 事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候…
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下の男女・尼・法師貴き聖人なんど云はるる人人は殊に敵となり候、其の故はいづれも後世をば願へども男女よりは僧・尼こそ願ふ由はみえ候へ、彼等は往生はさてをきぬ今生の世をわたるなかだちとなる故なり、智者聖人又我好我勝たりと申し・本師の跡と申し・所領と申し・名聞利養を重くして・まめやかに道心は軽し、仏法はひがさまに心得て愚癡の人なり、謗法の人なりと言をも惜まず人をも憚らず、当知是人仏法中怨の金言を恐れて我是世尊使処衆無所畏と云う文に任せていたくせむる間・未得謂為得・我慢心充満の人人争かにくみ嫉まざらんや。

されば日蓮程天神七代・地神五代・人王九十余代にいまだ此れ程法華経の故に三類の敵人にあだまれたる者なきなり、かかる上下万人一同のにくまれ者にて候に・此れまで御渡り候いし事・おぼろげの縁にはあらず宿世の父母か昔の兄弟にておはしける故に思い付かせ給うか、又過去に法華経の縁深くして今度仏にならせ給うべきたねの熟せるかの故に・在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思い出ださせ給いけるやらん。

其の上遠江の国より甲州波木井の郷身延山へは道三百余里に及べり、宿宿のいぶせさ・嶺に昇れば日月をいただき・谷へ下れば穴へ入るかと覚ゆ、河の水は矢を射るが如く早し・大石ながれて人馬むかひ難し、船あやうくして紙を水にひたせるが如し、男は山かつ女は山母の如し、道は繩の如くほそく・木は草の如くしげし、かかる所へ尋ね入らせ給いて候事・何なる宿習なるらん、釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給いて入らせ給いけるにや、ありがたしありがたし、事多しと申せども此の程風おこりて身苦しく候間留め候い畢んぬ

  弘安二年己卯五月二日                日蓮花押

   新池殿御返事


新池御書

                    弘安三年二月 五十九歳御作

うれしきかな末法流布に生れあへる我等・かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人、抑人界に生を受くるもの誰か無常を免れん、さあらんに取つては何ぞ後世のつとめを・いたさざらんや、倩世間の体を観ずれば人皆口には此の経を信じ手には経巻をにぎるといへども・経の心にそむく間・悪道を免れ難し、譬えば人に皆五臓あり一臓も損ずれば其の臓より病出て来て余の臓を破り終に命を失うが如し、爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」等云云、文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり、終に世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども此の経にあひ奉りぬれば・諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし、然れども此の経の十四謗法の中に一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし、所以は何ん一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも争か一仏を殺す罪に及ばんや、法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり、此のをきてに背くを謗法の者とは申すなり、地獄おそるべし炎を以て家とす、餓鬼悲むべし飢渇にうへて子を食ふ、修羅は闘諍なり・畜生は残害とて互に殺しあふ、紅蓮地獄と申すはくれなゐのはちすとよむ、其の故は余りに寒に・つめられてこごむ間せなかわれて・肉の出でたるが紅の蓮に似たるなり、況や大紅蓮をや、かかる悪所にゆけば王位・将軍も物ならず・獄卒の呵責にあへる姿は猿をまはすに異ならず、此の時は争か名聞名利・我慢偏執有るべきや。

思食すべし法華経をしれる僧を不思議の志にて一度も供養しなば悪道に行くべからず、何に況や十度・二十度乃至五年・十年・一期生の間・供養せる功徳をば仏の智慧にても知りがたし、此の経の行者を一度供養する功徳は


釈迦仏を直ちに八十億劫が間・無量の宝を尽して供養せる功徳に百千万億勝れたりと仏は説かせ給いて候、此の経にあひ奉りぬれば悦び身に余り左右の眼に涙浮びて釈尊の御恩報じ尽しがたし、かやうに此の山まで度度の御供養は法華経並に釈迦尊の御恩を報じ給うに成るべく候、弥はげませ給うべし懈ることなかれ、皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が・中程は信心もよはく僧をも恭敬せず供養をもなさず・自慢して悪見をなす、これ恐るべし恐るべし、始より終りまで弥信心をいたすべし・さなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき、何としても此の経の心をしれる僧に近づき弥法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし。

噫過ぎし方の程なきを以て知んぬ我等が命今幾程もなき事を春の朝に花をながめし時ともなひ遊びし人は花と共に無常の嵐に散りはてて名のみ残りて其の人はなし花は散りぬといへども又こん春も発くべしされども消えにし人は亦いかならん世にか来るべき秋の暮に月を詠めし時戯れむつびし人も月と共に有為の雲に入りて後面影ばかり身にそひて物いふことなし月は西山に入るといへども亦こん秋も詠むべし然れどもかくれし人は今いづくにか住みぬらんおぼつかなし無常の虎のなく音は耳にちかづくといへども聞いて驚くことなし屠所の羊の今幾日か無常の道を歩まん、雪山の寒苦鳥は寒苦にせめられて夜明なば栖つくらんと鳴くといへども日出でぬれば朝日のあたたかなるに眠り忘れて又栖をつくらずして一生虚く鳴くことをう一切衆生も亦復是くの如し地獄に堕ちて炎にむせぶ時は願くは今度人間に生れて諸事を閣ひて三宝を供養し後世菩提をたすからんと願へどもたまたま人間に来る時は名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし、無益の事には財宝をつくすにおしからず、仏法僧にすこしの供養をなすには是をものうく思ふ事これただごとにあらず、地獄の使のきをふものなり寸善尺魔と申すは是なり、其の上此の国は謗法の土なれば守護の善神は法味にうへて社をすて天に上り給へば社には悪鬼入り