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日蓮大聖人・池田大作

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守護国家論  (2/42) 兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得…
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此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り所謂・浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等なり、此の書を造る人・皆碩徳の名一天に弥ると雖も恐くは未だ選択集謗法の根源を顕わさず故に還つて悪法の流布を増す、譬えば盛なる旱颰の時に小雨を降せば草木弥枯れ兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し。

予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す、願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ、今経論を以て邪正を直す信謗は仏説に任せ敢て自義を存する事無かれ。

分ちて七門と為す、一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明し、二には正像末の興廃を明し、三には選択集の謗法の縁起を明し、四には謗法の者を対治すべき証文を出すことを明し、五には善知識並に真実の法には値い難きことを明し、六には法華涅槃に依る行者の用心を明し、七には問に随つて答うることを明す。

大文の第一に如来の経教に於て権実二教を定むることを明すとは此れに於て四有り、一には大部の経の次第を出して流類を摂することを明し、二には諸経の浅深を明し、三には大小乗を定むることを明し、四には且らく権を捨てて実に就くべきことを明す。

第一に大部の経の次第を出して流類を摂することを明さば、問うて云く仏最初に何なる経を説きたまうや、答えて云く華厳経なり、問うて云く其の証如何、答えて云く六十華厳経の離世間浄眼品に云く「是の如く我聞く一時・仏・摩竭提国・寂滅道場に在つて始めて正覚を成ず」と、法華経の序品に放光瑞の時・弥勒菩薩・十方世界の諸仏の五時の次第を見る時文殊師利菩薩に問うて云く、「又諸仏聖主師子の経典の微妙第一なることを演説し給うに其の声清浄に柔軟の音を出して諸の菩薩を教え給うこと無数億万なることを覩る」亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云く「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行す、乃至・爾の時に諸の梵王及び諸天帝釈・護世四天王及び


大自在天並に余の諸の天衆・眷属百千万・恭敬合掌し礼して我に転法輪を請ずと」此等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり、故に華厳経の第一に云く毘沙門天王月天子日天子釈提桓因大梵摩醯首羅等已上

涅槃経に華厳経の時を説いて云く「既に成道し已つて梵天勧請すらく唯願わくば如来当に衆生の為に広く甘露の門を開き給うべし、乃至・梵王復言く世尊・一切衆生に凡そ三種有り所謂・利根・中根・鈍根なり利根は能く受く唯願わくば為に説き給え、仏言く梵王諦に聴け我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし」亦三十三に華厳経の時を説いて云く「十二部経・修多羅の中の微細の義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し」。

此くの如き等の文は皆諸仏・世に出で給いて一切経の初めには必ず華厳経を説き給いし証文なり。

問うて云く無量義経に云く「初めに四諦を説き、乃至・次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」此くの如き文は般若経の後に華厳経を説くと相違如何、答えて云く浅深の次第なるか或は後分の華厳経なるか、法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云く「余乗有ること無し華厳経なり若は二般若経なり若は三方等経なり」と此の意なり。

問うて云く華厳経の次に何の経を説き給うや、答えて云く阿含経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云く「若し人・苦に遭うて老病死を厭うには為に涅槃を説く」方便品に云く「即・波羅奈に趣き、乃至・五比丘の為に説く」涅槃経に華厳経の次の経を定めて云く「即・波羅奈国に於て正法輪を転じて中道を宣説す」此等の経文は華厳経より後に阿含経を説くなり。

問うて云く阿含経の後に何の経を説き給うや、答えて云く方等経なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経に云く「初に四諦を説き乃至・次に方等十二部経を説く」涅槃経に云く「修多羅より方等を出す」

問うて云く方等とは天竺の語・此には大乗と云う華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや、答えて云く実には華厳・般若・法華等皆方等なり然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を


立つることは私の義に非ず無量義経・涅槃経の文に顕然たり、阿含の証果は一向小乗なり次に大乗を説く方等より已後皆大乗と云うと雖も大乗の始なるが故に初に従つて方等部を方等と云うなり、例せば十八界の十半は色なりと雖も初に従つて色境の名を立つるが如し。

問うて云く方等部の諸経の後に何の経を説き給うや、答えて云く般若経なり、問うて云く何を以て之を知るや答えて云く涅槃経に云く「方等より般若を出す」

問うて云く般若経の後には何の経を説き給うや、答えて云く無量義経なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く仁王経に云く「二十九年中」無量義経に云く「四十余年」問うて云く無量義経には般若経の後に華厳経を列ね涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ぬ、今の所立の次第は般若経の後に無量義経を列ぬる相違如何、答えて云く涅槃経第十四の文を見るに涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して勝劣を論じ而も法華経を挙げず、第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定め給う、法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序分なり、無量義経には般若の次に華厳経を列ぬれども華厳経を初時に遣れば般若経の後は無量義経なり。

問うて云く無量義経の後に何の経を説き給うや、答えて云く法華経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く法華経の序品に云く「諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名づくるを説き給う、仏此の経を説き已つて結跏趺坐し無量義処三昧に入る」

問うて云く法華経の後に何の経を説き給うや、答えて云く普賢経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く普賢経に云く「卻て後・三月我当に般涅槃すべし、乃至・如来昔・耆闍崛山及び余の住処に於て已に広く一実の道を分別し今も此の処に於てす」

問うて云く普賢経の後に何の経を説き給うや、答えて云く涅槃経を説き給うなり、問うて云く何を以て之を知