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日蓮大聖人・池田大作

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下山御消息  (9/22) 今の人人は人毎とに経文を我もよむ我も信じた…
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もしれ、弘法大師の祈雨の時二七日の間一雨も下らざりしもあやしき事なり、而るを誑惑の心強盛なりし人なれば天子の御祈雨の雨を盗み取て我が雨と云云、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時も小雨は下たりしかども三師共に大風連連と吹いて勅使をつけてをはれしあさましさと、天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下らして小風も吹かざりしもたとくぞおぼゆるおぼゆる。

法華経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在りて、乃至利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如きもの有らん」又云く「常に大衆の中に在て我等を毀らんと欲するが故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説き乃至悪鬼其の身に入つて我を罵詈毀辱せん」、又云く「濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らずして悪口して顰蹙し数数擯出せられん」等云云、涅槃経に云く「一闡提有つて羅漢の像を作し空処に住し方等大乗経典を誹謗す諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂えり」等云云、今予・法華経と涅槃経との仏鏡をもつて当時の日本国を浮べて其影をみるに誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて而も法華経の行者を讒言して頸をきらせんとせし、又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる、誰の智者か法華経の故に度度・処処を追はれ頸をきられ弟子を殺され両度まで流罪せられて最後に頸に及ばんとせし、眼無く耳無きの人は除く眼有り耳有らん人は経文を見聞せよ、今の人人は人毎とに経文を我もよむ我も信じたりといふ只にくむところは日蓮計なり経文を信ずるならば慥にのせたる強敵を取出して経文を信じてよむしるしとせよ、若し爾らずんば経文の如く読誦する日蓮をいかれるは経文をいかれるにあらずや仏の使をかろしむるなり、今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば釈尊は大妄語の仏・多宝・十方の諸仏は不実の証明なり、又経文まことならば御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ国は他の有となり後生には阿鼻地獄疑なし、而るに彼等が大悪法を尊まるる故に理不尽の政道出来す彼の国主の僻見の心を推するに日


蓮は阿弥陀仏の怨敵・父母の建立の堂塔の讎敵なれば仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ天神もゆるし給うべしとをもはるるか、はかなしはかなし委細にかたるべけれども此れは小事なれば申さず心有らん者推して知んぬべし、上に書挙るより雲泥大事なる日本第一の大科此の国に出来して年久くなる間、此の国既に梵釈・日月・四天・大王等の諸天にも捨てられ守護の諸大善神も還つて大怨敵となり法華経守護の梵帝等・鄰国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し仏前の誓状を遂げんとおぼしめす事あり。

夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども始めなりしかば国土さしも乱れず聖賢も間間出現し福徳の王臣も絶えざりしかば政道も曲る事なし万民も直かりし故に小科を対治せんがために三皇・五帝・三王・三聖等・出現して墳典を作りて代を治す、世しばらく治りたりしかども漸漸にすへになるままに聖賢も出現せず福徳の人もすくなければ三災は多大にして七難・先代に超過せしかば外典及びがたし、其の時治を代えて内典を用いて世を治す随つて世且くはおさまるされども又世末になるままに人の悪は日日に増長し政道は月月に衰減するかの故に又三災・七難先よりいよいよ増長して小乗戒等の力験なかりしかば其の時治をかへて小乗の戒等を止めて大乗を用ゆ、大乗又叶わねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり、所謂伝教大師・日本三所の小乗戒並に華厳・三論・法相の三大乗戒を破失せし是なり、此の大師は六宗をせめ落させ給うのみならず禅宗をも習い極め剰え日本国にいまだひろまらざりし法華宗・真言宗をも勘え出して勝劣鏡をかけ顕密の差別・黒白なり、然れども世間の疑を散じがたかりしかば去る延暦年中に御入唐・漢土の人人も他事には賢かりしかども法華経・大日経・天台・真言の二宗の勝劣・浅深は分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後・本の御存知の如く妙楽大師の記の十の不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引き載せて天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給う剰え真言宗の宗の一字を削り給う、其の故は善無畏・金剛智・不空の三人・一行阿闍梨をたぼらかして本はなき大日経に天台の己証の一念


三千の法門を盗み入れて人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者なりと心得給へり、例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳に盗み入れて還つて天台宗を末教と下せしが如しと御存知あて宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云、而るを弘法大師と申し天下第一の自讃毀他の大妄語の人、教大師御入滅の後対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ、然れども本師の跡を紹継する人人は叡山は唯七宗にてこそあるべきに教大師の第三の弟子・慈覚大師と叡山第一の座主・義真和尚の末弟子智証大師と此の二人は漢土に渡り給いし時日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば天台・真言の碩学等に値い給う毎に勝劣・浅深を尋ね給う、然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ或は天台宗勝れ或は二宗斉等し或は理同事異といへども倶に慥の証文をば出さず、二宗の学者等併しながら胸臆の言なり然るに慈覚大師は学極めずして帰朝して疏十四巻を作れり所謂・金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻なり此の疏の体たらくは法華経と大日経等の三部経とは理は同く事は異なり等云云、此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出すが・なを不審あきらめがたかりけるかの故に本尊の御前に疏を指し置て此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちをどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給う所謂・真言・法華斉等なり譬ば鳥の二の翼・人の両目の如し又叡山も八宗なるべしと云云、此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども心は東寺里中の塵にまじはる本師の遺跡を紹継する様にて還つて聖人の正義を忽諸し給へり、法華経の於諸経中最在其上の上の字をうちかへして大日経の下に置き先づ大師の怨敵となるのみならず存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給う、されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是なり仏法の大科此れよりはじまる日本国亡国となるべき先兆なり、棟梁たる法華経既に大日経の椽梠となりぬ、王法も下