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日蓮大聖人・池田大作

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四条金吾釈迦仏供養事  (4/4) いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あ…
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り・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候、日蓮がさどの国にてもかつえしなず又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は・たれか・たすけん・ひとへにとのの御たすけなり・又殿の御たすけは・なにゆへぞと・たづぬれば入道殿の御故ぞかし、あらわには・しろしめさねども定めて御いのりともなるらん・かうあるならば・かへりて又とのの御いのりとなるべし父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし、かかる人の御内を如何なる事有ればとて・すてさせ給うべきや・かれより度度すてられんずらんは・いかがすべき・又いかなる命になる事なりとも・すてまいらせ給うべからず、上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ・孝養の者は又横死有る可からず、鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども腹の中の子はとけず、石を食する魚あり又腹の中の子はしなず、栴檀の木は火に焼けず浄居の火は水に消へず・仏の御身をば三十二人の力士・火をつけしかども・やけず、仏の御身よりいでし火は三界の竜神・雨をふらして消しかどもきえず、殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生に法華経の行者を・あだみたりけるが今生にむくふなるべし、此の事は如何なる山の中・海の上にても・のがれがたし、不軽菩薩の杖木の責も目犍尊者の竹杖に殺されしも是なり、なにしにか歎かせ給うべき。

但し横難をば忍には・しかじと見へて候・此の文御覧ありて後は・けつして百日が間をぼろげならでは・どうれい並に他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず・主の召さん時は昼ならば・いそぎ参らせ給うべし、夜ならば三度までは頓病の由を申させ給いて三度にすぎば下人又他人をかたらひてつじを見せなんどして御出仕あるべし、かうつつしませ給はんほどにむこの人もよせなんどし候はば人の心又さきにひきかへ候べし、かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は御あやまち・ありとも左右なく御内を出でさせ給うべからず、まして・なから


んには・なにとも人申せ・くるしかるべからず、おもひのままに入道にもなりておはせば・さきさきならばくるしからず、又身にも心にもあはぬ事あまた出来せば・なかなか悪縁・度度・来るべし、このごろは女は尼になりて人をはかり男は入道になりて大悪をつくるなり、ゆめゆめ・あるべからぬ事なり、身に病なくとも・やいとを一二箇所やいて病の由あるべし、さわぐ事ありとも・しばらく人をもつて見せをほせさせ給へ。

事事くはしくは・かきつくしがたし、此の故に法門もかき候はず、御経の事はすずしくなり候いてかいてまいらせ候はん、恐恐謹言。

  建治二年丙子七月十五日               日蓮花押

   四条金吾殿御返事

四条金吾殿御返事

正法をひろむる事は必ず智人によるべし、故に釈尊は一切経を・とかせ給いて小乗経をば阿難・大乗経をば文殊師利・法華経の肝要をば一切の声聞・文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授けさせ給いき、設い正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争か弘まるべき・然れば釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人なりこれは二人ながら天の檀那なり、仏は六道の中には人天・人天の中には人に出でさせ給う・人には三千世界の中央・五天竺・五天竺の中には摩竭提国に出でさせ給いて候しに、彼の国の王を檀那とさだむべき処に彼の国の阿闍世王は悪人なり、聖人は悪王に生れあふ事第一の怨にて候しぞかし、阿闍世王は賢王なりし父をころす、又うちそふわざはひと提婆達多を師とせり、達多は三逆罪をつくる上・仏の御身より血を出だしたりし者ぞかし、不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば人間に二のわざはひにて候しなり、一年二年ならず数十年が間・仏にあだを・なしまいらせ


仏の御弟子を殺せし事・数をしらず、かかりしかば天いかりを・なして天変しきりなり、地神いかりを・なして地夭申すに及ばず、月月に悪風・年年に飢饉・疫癘来りて万民ほとんど・つきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む、既に危く成りて候し程に阿闍世王・或は夢のつげにより・或は耆婆がすすめにより・或は心にあやしむ事ありて提婆達多をば・うち捨て仏の御前にまいりて・やうやうにたいほう申せしかば身の病忽にいゑ・他方のいくさも留まり国土安穏になるのみならず・三月の七日に御崩御なるべかりしが命をのべて四十年なり、千人の阿羅漢をあつめて一切経・ことには法華経を・かきをかせ給いき、今我等がたのむところの法華経は阿闍世王のあたへさせ給う御恩なり。

是はさてをきぬ・仏の阿闍世王にかたらせ給いし事を日蓮申すならば日本国の人は今つくれる事どもと申さんずらんなれども・我が弟子檀那なればかたりたてまつる、仏言わく我が滅後・末法に入つて又調達がやうなる・たうとく五法を行ずる者・国土に充満して悪王をかたらせて・但一人あらん智者を或はのり或はうち或は流罪或は死に及ぼさん時・昔にも・すぐれてあらん天変・地夭・大風・飢饉・疫癘・年年にありて他国より責べしと説かれて候、守護経と申す経の第十の巻の心なり。

当時の世にすこしもたがはず、然るに日蓮は此の一分にあたれり・日蓮をたすけんと志す人人・少少ありといへども或は心ざしうすし・或は心ざしは・あつけれども身がうごせず・やうやうにをはするに御辺は其の一分なり・心ざし人にすぐれて・をはする上わづかの身命をささうるも又御故なり、天もさだめて・しろしめし地もしらせ給いぬらん殿いかなる事にもあはせ給うならば・ひとへに日蓮がいのちを天のたたせ給うなるべし、人の命は山海・空市まぬかれがたき事と定めて候へども・又定業亦能転の経文もあり・又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり、前に申せしやうに蒙古国のよするまで・つつしませ給うなるべし、主の御返事をば申させ給うべし・身に病ありては