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日蓮大聖人・池田大作

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伯耆殿等御返事 
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伯耆殿等御返事

                    弘安二年十月十二日 五十八歳御作 

大体此の趣を以て書き上ぐ可きか、但し熱原の百姓等安堵せしめば日秀等別に問注有る可からざるか、大進房・弥藤次入道等の狼藉の事に至つては源は行智の勧めに依りて殺害刄傷する所なり、若し又起請文に及ぶ可き云云の事之を申さば全く書く可からず、其の故は人に殺害刄傷せられたる上・重ねて起請文を書き失を守るは古今未曾有の沙汰なり、其の上行智の所行・書かしむる如くならば身を容るる処なく行う可きの罪・方無きか、穴賢穴賢、此の旨を存じ問注の時・強強と之を申さば定めて上聞に及ぶ可きか、又行智・証人立て申さば彼等の人人行智と同意して百姓等が田畠数十苅り取る由・之を申せ、若し又証文を出さば謀書の由之を申せ、事事証人の起請文を用ゆべからず、但し現証の殺害刄傷而已、若し其の義に背く者は日蓮の門家に非ず日蓮の門家に非ず候、恐恐。

  弘安二年十月十二日                 日蓮在御判

   伯耆殿

    日秀

    日弁等下


高橋殿御返事

                    建治元年七月 五十四歳御作

瓜一籠ささげひげこえだまめねいもかうのうり給び候い畢んぬ、付法蔵経と申す経にはいさごのもちゐを仏に供養しまいらせしわらは百年と申せしに一閻浮提の四分が一の王となる所謂阿育大王これなり、法華経の法師品には而於一劫中と申して一劫が間・釈迦仏を種種に供養せる人の功徳と・末代の法華経の行者を須臾も供養せる功徳と・たくらべ候に其福復彼に過ぐと申して法華経の行者を供養する功徳すぐれたり、これを妙楽大師釈して云く「供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と云云、されば仏を供養する功徳よりも・すぐれて候なれば仏にならせ給はん事疑いなし。

其の上女人の御身として尼とならせ給いて候なり・いよいよ申すに及ばず但しさだめて念仏者にてやをはすらん、たうじの念仏者・持斎は国をほろぼし他国の難をまねくものにて候、日本国の人人は一人もなく日蓮がかたきとなり候いぬ、梵王・帝釈・日月・四天のせめをかほりて・たうじのゆきつしまのやうになり候はんずるに・いかがせさせ給うべきいかがせさせ給うべき、なによりも入道殿の御所労なげき入つて候、しばらくいきさせ給いて法華経を謗ずる世の中御覧あれと候へ、日本国の人人は大体はいけどりにせられ候はんずるなり、日蓮を二度までながし法華経の五の巻をもてかうべを打ち候いしは・こり候はんずらむ。

  七月二十六日                    日蓮花押

   御返事


高橋入道殿御返事

                    建治元年七月 五十四歳御作

  進上 高橋入道殿御返事                    日蓮

我等が慈父・大覚世尊は人寿百歳の時・中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給う、仏在世の一切衆生は過去の宿習有つて仏に縁あつかりしかば・すでに得道成りぬ、我が滅後の衆生をば・いかんがせんと・なげき給いしかば八万聖教を文字となして・一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり・大乗経並びに法華経涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給う、但八万聖教の肝心・法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉・阿難にもゆづり給はず、又文殊・普賢・観音・弥勒・地蔵・竜樹等の大菩薩にもさづけ給はず、此等の大菩薩等の・のぞみ申せしかども仏ゆるし給はず、大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして・多宝仏・十方の諸仏の御前にして釈迦如来・七宝の塔中にして妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給う。

其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子なりいづれも平等に不便にをもうなり、しかれども医師の習い病に随いて薬をさづくる事なれば・我が滅後・五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもつて一切衆生にあたへよ、次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・竜樹菩薩・天親菩薩に華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさづけよ、我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等・法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ、末法に入りなば迦葉・阿難等・文殊・弥勒菩薩等・薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経・並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず、所謂病は重し薬はあさし、其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし、其の時一切衆生・此の菩薩をかたきとせん、所