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日蓮大聖人・池田大作

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報恩抄  (9/37) 而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は…
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やく習い失せし程に唐の太宗の御宇に玄奘三蔵といゐし人・貞観三年に始めて月氏に入りて同十九年にかへりしが月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす、此の宗は天台宗と水火なり而るに天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして法華経は一切経には勝れたれども深密には劣るという、而るを天台は御覧なかりしかば天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに・さもやとおもう、又太宗は賢王なり玄奘の御帰依あさからず、いうべき事ありしかども・いつもの事なれば時の威をおそれて申す人なし、法華経を打ちかへして三乗真実・一乗方便・五性各別と申せし事は心うかりし事なり、天竺よりは・わたれども月氏の外道が漢土にわたれるか法華経は方便・深密経は真実といゐしかば釈迦・多宝・十方の諸仏の誠言もかへりて虚くなり玄奘・慈恩こそ時の生身の仏にてはありしか。

其後則天皇后の御宇に天台大師にせめられし華厳経に又重ねて新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどをりをはたさんがために新訳の華厳をもつて天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ、此の宗は華厳経をば根本法輪・法華経をば枝末法輪と申すなり、南北は一華厳・二涅槃・三法華・天台大師は一法華・二涅槃・三華厳・今の華厳宗は一華厳・二法華・三涅槃等云云。

其の後玄宗皇帝の御宇に天竺より善無畏三蔵は大日経・蘇悉地経をわたす、金剛智三蔵は金剛頂経をわたす、又金剛智三蔵の弟子あり不空三蔵なり、此の三人は月氏の人・種姓も高貴なる上・人がらも漢土の僧ににず法門もなにとはしらず後漢より今にいたるまで・なかりし印と真言という事をあひそいて・ゆゆしかりしかば天子かうべをかたぶけ万民掌をあわす、此の人人の義にいわく華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内・釈迦如来の説の分なり、今の大日経等は大日法王の勅言なり彼の経経は民の万言此経は天子の一言なり、華厳経・涅槃経等は大日経には梯を立ても及ばず但法華経計りこそ大日経には相似の経なれ、されども彼の経は釈迦如来の説・


民の正言・此の経は天子の正言なり言は似れども人がら雲泥なり、譬へば濁水の月と清水の月のごとし月の影は同じけれども水に清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ、善無畏・金剛智・死去の後・不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたしいよいよ真言宗盛りなりけり、但し妙楽大師といふ人あり天台大師よりは二百余年の後なれども智慧かしこき人にて天台の所釈を見明めてありしかば天台の釈の心は後にわたれる深密経・法相宗又始めて漢土に立てたる華厳宗・大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給いたりけるを、或は智のをよばざるか或は人に畏るるか或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるかかくて・あるならば天台の正義すでに失なん、又陳隋已前の南北が邪義にも勝れたりとおぼして三十巻の末文を造り給う所謂弘決・釈籤・疏記これなり、此の三十巻の文は本書の重なれるをけづりよわきをたすくるのみならず天台大師の御時なかりしかば御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを一時にとりひしがれたる書なり。

又日本国には人王第三十代・欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に百済国より一切経・釈迦仏の像をわたす、又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして先生所持の一巻の法華経をとりよせ給いて持経と定め、其の後人王第三十七代・孝徳天王の御宇に三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる、人王第四十五代に聖武天王の御宇に律宗わたる已上六宗なり、孝徳より人王五十代の桓武天皇にいたるまでは十四代・一百二十余年が間は天台真言の二宗なし、桓武の御宇に最澄と申す小僧あり山階寺の行表僧正の御弟子なり、法相宗を始めとして六宗を習いきわめぬ而れども仏法いまだ極めたりとも・おぼえざりしに華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに天台大師の釈を引きのせたり此の疏こそ子細ありげなれ此の国に渡りたるか又いまだ・わたらざるかと不審ありしほどに有人にとひしかば其の人の云く大唐の揚州竜興


寺の僧鑒真和尚は天台の末学・道暹律師の弟子天宝の末に日本国にわたり給いて小乗の戒を弘通せさせ給いしかども天台の御釈持ち来りながらひろめ給はず人王第四十五代聖武天王の御宇なりとかたる、其の書を見んと申されしかば取り出だして見せまいらせしかば一返御らんありて生死の酔をさましつ此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば一一に邪見なる事あらはれぬ、忽に願を発て云く日本国の人皆・謗法の者の檀越たるが天下一定乱れなんずとおぼして六宗を難ぜられしかば七大寺・六宗の碩学蜂起して京中烏合し天下みなさわぐ、七大寺六宗の諸人等悪心強盛なり、而るを去ぬる延暦二十一年正月十九日に天王高雄寺に行幸あつて七寺の碩徳十四人・善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人を召し合わす、華厳・三論・法相等の人人・各各・我宗の元祖が義にたがはず最澄上人は六宗の人人の所立・一一に牒を取りて本経・本論・並に諸経・諸論に指し合わせてせめしかば一言も答えず口をして鼻のごとくになりぬ、天皇をどろき給いて委細に御たづねありて重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば承伏の謝表を奉りたり、其書に云く「七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る」等云云又云く「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其数多し、彼此理を争うて其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、又云く「三論法相・久年の諍渙焉として氷の如く解け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし」云云、最澄和尚十四人が義を判じて云く「各一軸を講ずるに法鼓を深壑に振い賓主三乗の路に徘徊し義旗を高峰に飛す長幼三有の結を摧破して猶未だ歴劫の轍を改めず白牛を門外に混ず、豈善く初発の位に昇り阿荼を宅内に悟らんや」等云云、弘世真綱二人の臣下云く「霊山の妙法を南岳に聞き総持の妙悟を天台に闢く一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」等云云、又十四人の云く「善議等牽れて休運に逢て乃ち奇詞を閲す深期に非るよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、此の十四人は華厳宗の法蔵・審祥・三論宗の嘉祥・観勒・法相宗の慈恩・道昭・律宗の道宣・鑒真等の漢土・日本元祖等の法門・