Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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撰時抄  (18/37) 大地は厚けれども不孝の者をば載せず
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問ういかなる秘法ぞ先ず名をきき次に義をきかんとをもう此の事もし実事ならば釈尊の二度・世に出現し給うか上行菩薩の重ねて涌出せるかいそぎいそぎ慈悲をたれられよ、彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入りて十九年・法華一乗は方便教・小乗阿含経は真実教、不空三蔵は身毒に返りて寿量品を阿弥陀仏とかかれたり、此等は東を西という日を月とあやまてり身を苦めてなにかせん心に染てようなし、幸い我等末法に生れて一歩をあゆまずして三祇をこゑ頭を虎にかわずして無見頂相をゑん、答えて云く此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし但し此の法門には先ず三の大事あり大海は広けれども死骸をとどめず大地は厚けれども不孝の者をば載せず、仏法には五逆をたすけ不孝をばすくう但し誹謗一闡提の者持戒にして第一なるをばゆるされず、此の三のわざはひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり、一には念仏宗は日本国に充満して四衆の口あそびとす、二に禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して一天の明導とをもへり、三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし叡山・東寺・七寺・園城或は官主或は御室或は長吏或は検校なりかの内侍所の神鏡燼灰となりしかども大日如来の宝印を仏鏡とたのみ宝剣西海に入りしかども五大尊をもつて国敵を切らんと思へり、此等の堅固の信心は設い劫石はひすらぐとも・かたぶくべしとはみへず大地は反覆すとも疑心をこりがたし、彼の天台大師の南北をせめ給いし時も此の宗はいまだわたらず此の伝教大師の六宗をしゑたげ給いし時ももれぬ、かたがたの強敵をまぬがれてかへつて大法をかすめ失う、其の上伝教大師の御弟子・慈覚大師・此の宗をとりたてて叡山の天台宗をかすめをとして一向真言宗になししかば此の人には誰の人か敵をなすべき、かかる僻見のたよりをえて弘法大師の邪義をもとがむる人もなし、安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども只華厳宗のところ計りとがむるににてかへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ、ただ世間のたて入の者のごとし。

問うて云く此の三宗の謬悞如何答えて云く浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり本は三論宗の人竜樹菩薩の


十住毘婆娑論を見て難行道易行道を立てたり、道綽禅師という者あり唐の世の者本は涅槃経をかうじけるが曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て涅槃経をすてて浄土にうつて聖道・浄土二門を立てたり、又道綽が弟子に善導という者あり雑行正行を立つ、日本国に末法に入つて二百余年・後鳥羽院の御宇に法然というものあり一切の道俗をすすめて云く仏法は時機を本とす法華経大日経天台真言等の八宗九宗一代の大小・顕密・権実等の諸宗等は上根上智の正像二千年の機のためなり、末法に入りてはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず、其の上・弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず此れわたくしに申すにはあらず竜樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得者ときらひ善導は千中無一とさだめたり、此等は他宗なれば御不審もあるべし、慧心先徳にすぎさせ給へる天台真言の智者は末代にをはすべきか彼の往生要集には顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず、又三論の永観が十因等をみよされば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生・百即百生とすすめければ、叡山・東寺・園城・七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞道理かとみへければ顕真座主落ちさせ給いて法然が弟子となる、其の上設い法然が弟子とならぬ人々も弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし心よせにをもひければ日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり、此の五十年が間・一天四海・一人もなく法然が弟子となる法然が弟子となりぬれば日本国一人もなく謗法の者となりぬ、譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや、結句は法然・流罪をあだみて悪霊となつて我並びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入つて或は謀反ををこし或は悪事をなして皆関東にほろぼされぬ、わづかにのこれる叡山・東寺等の諸僧は俗男俗女にあなづらるること猿猴の人にわらはれ俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし、禅宗は又此の便を得て持斎等となつて人の眼を迷かしたつとげなる気色なればいかにひがほうもんをいゐくるへども失ともをぼへず、禅宗と申す宗は教外別伝と申して釈尊の一切経


の外に迦葉尊者にひそかにささやかせ給へり、されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし、猿の月の影をとるににたり云云、此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ無礼なる故に、主君にかんどうせられあるいは若なる法師等の学文にものうき遊女のものぐるわしき本性に叶る邪法なるゆへに皆一同に持斎になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり、しかれば天は天眼をいからかし地神は身をふるう、真言宗と申すは上の二のわざはひにはにるべくもなき大僻見なりあらあら此れを申すべし、所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす、此の三経の説相分明なり其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗・其の相を論ずれば印と真言と計りなり、尚華厳般若の三一相対の一乗にも及ばず天台宗の爾前の別円程もなし但蔵通二教を面とするを善無畏三蔵をもはく此の経文をあらわにいゐ出す程ならば華厳法相にもをこつかれ天台宗にもわらはれなん大事として月支よりは持ち来りぬさてもだせば本意にあらずとやをもひけん、天台宗の中に一行禅師という僻人一人ありこれをかたらひて漢土の法門をかたらせけり、一行阿闍梨うちぬかれて三論・法相・華厳等をあらあら・かたるのみならず天台宗の立てられけるやうを申しければ善無畏をもはく天台宗は天竺にして聞きしにも・なをうちすぐれてかさむべきやうもなかりければ善無畏・一行をうちぬひて云く和僧は漢土には・こざかしき者にてありけり、天台宗は神妙の宗なり今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ一行さもやとをもひければ善無畏三蔵一行にかたて云く、天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう汝かきなんやといゐければ一行が云くやすう候、但しいかやうにかき候べきぞ天台宗はにくき宗なり諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切に叶わざる事一あり、所謂法華経の序分に無量義経と申す経をもつて前四十余年の経経をば其の門を打ちふさぎ候いぬ、法華経の法師品・神力品をもつて後の経経をば又ふせがせぬ肩をならぶ経経をば今説の文をもつてせめ候大