Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事 
1512

れをしさに父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心か、さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給いて候は・いふにかひなきものなれども約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき、もし此の事まことになり候はば・わが大事とおもはん人人のせいし候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめして・いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし、其の時一切は心にまかせんずるなり、かへす・がへす人のせいしあらば心にうれしくおぼすべし、恐恐謹言。

  五月三日                      日蓮花押

   上野殿御返事

上野殿御返事

                    建治元年七月 五十四歳御作

むぎひとひつ・かわのり五条・はじかみ六十給了んぬ、いつもの御事に候へばをどろかれず・めづらしからぬやうにうちをぼへて候は・ぼむぶの心なり、せけんそうそうなる上ををみやのつくられさせ給へば・百姓と申し我が内の者と申し・けかちと申し・ものつくりと申し・いくそばくいとまなく御わたりにて候らむに・山のなかの・すまゐさこそと思ひやらせ給いて・鳥のかい子をやしなふが如く・灯に油をそふるがごとく・かれたる草に雨のふるが如く・うへたる子に乳をあたふるが如く・法華経の御命をつがせ給う事・三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり、十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

  七月十二日                     日蓮花押

   進上 上野殿御返事


上野殿御書

                    建治元年八月 五十四歳御作

                    与 南条時光

態と御使い有難く候、夫れについては屋形造の由目出度くこそ候へ、何か参り候いて移徙申し候はばや、一つ棟札の事承り候書き候いて此の伯耆公に進せ候。

此の経文は須達長者・祇園精舎を造りき、然るに何なる因縁にやよりけん須達長者七度まで火災にあひ候時・長者此の由を仏に問い奉る、仏答えて曰く汝が眷属・貪欲深き故に此の火災の難起るなり、長者申さく・さていかんして此の火災の難をふせぎ申すべきや、仏の給はく辰巳の方より瑞相あるべし・汝精進して彼の方に向へ、彼方より光ささば鬼神三人来りて云わん、南海に鳥あり鳴忿と名く此の鳥の住処に火災なし、又此の鳥一つの文を唱うべし、其の文に云く「聖主天中天迦陵頻伽声哀愍衆生者我等今敬礼」云云、此の文を唱へんには必ず三十万里が内には火災をこらじと・此の三人の鬼神かくの如く告ぐべきなり云云、須達・仏の仰せの如くせしかば少しもちがはず候いき、其の後火災なきと見えて候、これに依りて滅後・末代にいたるまで此の経文を書きて火災をやめ候、今以てかくの如くなるべく候、返す返す信じ給うべき経文なり、是は法華経の第三の巻化城喩品に説かれて候、委しくは此の御房に申し含めて候、恐恐謹言。

  八月十八日                     日蓮花押

   上野殿御返事


単衣抄

                    建治元年八月 五十四歳御作

単衣一領送り給い候い畢んぬ。

棄老国には老者をすて・日本国には今法華経の行者をすつ、抑此の国開闢より天神七代・地神五代・人王百代あり、神武より已後九十代欽明より仏法始まりて六十代・七百余年に及べり、其の中に父母を殺す者・朝敵となる者・山賊・海賊・数を知らざれども・いまだきかず法華経の故に日蓮程・人に悪まれたる者はなし、或は王に悪まれたれども民には悪まれず、或は僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、或は愚人は悪めば智人はもれたり、此れは王よりは民・男女よりは僧尼・愚人よりは智人悪む・悪人よりは善人悪む、前代未聞の身なり後代にも有るべしともおぼえす、故に生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間・或は寺を追い出され・或は処をおわれ・或は親類を煩はされ・或は夜打ちにあひ・或は合戦にあひ・或は悪口数をしらず・或は打たれ或は手を負う・或は弟子を殺され或は頸を切られんとし・或は流罪両度に及べり、二十余年が間・一時片時も心安き事なし、頼朝の七年の合戦もひまやありけん、頼義が十二年の闘諍も争か是にはすぐべき。

法華経の第四に云く「如来の現在にすら猶怨嫉多し」等云云、第五に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、天台大師も恐らくはいまだ此の経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故なり、伝教大師も及び給うべからず況滅度後の経文に符合せざるが故に、日蓮・日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり・多宝の証明も・なにかせん・十方の諸仏の御語も妄語となりなん、仏滅後二千二百二十余年・月氏・漢土・日本に一切世間多怨難信の人なし、日蓮なくば仏語既に絶えなん、かかる身なれば蘇武が如く雪を食として命を継ぎ・李陵が如く簑をきて世をすごす、山林に交つて果なき時は空くして両三日を過ぐ・鹿の皮破ぬれば裸にして三四月に及べり、かかる者