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日蓮大聖人・池田大作

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春の祝御書 
1510

今始めて申すにあらず二十余年が間・音もをしまずよばはり候いぬるなり、あなかしこ・あなかしこ、この御文は大事の事どもかきて候、よくよく人によませて・きこしめせ、人もそしり候へ・ものともおもはぬ法師等なり、恐恐謹言。

  文永十一年太歳甲戌十一月十一日         日蓮花押

   南条七郎次郎殿御返事

春の祝御書

春のいわいわ・すでに事ふり候いぬ、さては故なんでうどのはひさしき事には候はざりしかども・よろず事にふれて・なつかしき心ありしかば・をろかならずをもひしに・よわひ盛んなりしに・はかなかりし事わかれかなしかりしかば・わざとかまくらより・うちくだかり御はかをば見候いぬ、それよりのちはするがのびんにはと・をもひしに・このたびくだしには人にしのびて・これへきたりしかば・にしやまの入道殿にも・しられ候はざりし上は力をよばず・とをりて候いしが心にかかりて候その心をとげんがために・此の御房は正月の内につかわして御はかにて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候、御とのの御かたみもなしなんとなげきて候へば・とのをとどめをかれける事よろこび入つて候、故殿は木のもと・くさむらのかげ・かよう人もなし、仏法をも聴聞せんず・いかにつれづれなるらん、をもひやり候へばなんだもとどまらず、とのの法華経の行者うちぐして御はかにむかわせ給うには、いかにうれしかるらん・いかにうれしかるらん。


上野殿御返事

                    建治元年五月 五十四歳御作

                    与 上野次郎時光

さつきの二日にいものかしら・いしのやうにほされて候を一駄、ふじのうへのより・みのぶの山へをくり給いて候。

仏の御弟子にあなりちと申せし人は天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一・迦葉・舎利弗・目連・阿難にかたをならべし人なり、この人のゆらひをたづねみれば・師子頬王と申せし国王の第二の王子に・こくぼん王と申せし人の御子・釈迦如来のいとこにておはしましき、この人の御名三つ候、一には無貧・二には如意・三にはむれうと申す・一一にふしぎの事候、昔うえたるよにりだそんじやと申せしたうとき辟支仏ありき、うえたるよに七日ときもならざりけるが・山里にれうしの御器に入れて候いける・ひえのはんをこひてならせ給う、このゆへにこのれうし現在には長者となり・のち九十一劫が間・人中・天上にたのしみをうけて・今最後にこくぼん王の太子とむまれさせ給う、金のごきに・はんとこしなへにたえせず・あらかんとならせ給う、御眼に三千大千世界を一時に御らんありていみじくをはせしが・法華経第四の巻にして普明如来と成るべきよし仏に仰せをかほらせ給いき、妙楽大師此の事を釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し、及び田勝るるを以ての故に故に勝報を得る」と云云、釈の心かろきひえのはんなれども・此れよりほかには・もたざりしを・たうとき人のうえておはせしに・まいらせてありしゆへに・かかるめでたき人となれりと云云。

此の身のぶのさわは石なんどはおほく候・されども・かかるものなし、その上夏のころなれば民のいとまも候はじ、又御造営と申しさこそ候らんに・山里の事を・をもひやらせ給いて・をくりたびて候、所詮はわがをやのわか


れをしさに父の御ために釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや孝養の御心か、さる事なくば梵王・帝釈・日月・四天その人の家をすみかとせんとちかはせ給いて候は・いふにかひなきものなれども約束と申す事はたがへぬ事にて候に、さりとも・この人人はいかでか仏前の御約束をば・たがへさせ給い候べき、もし此の事まことになり候はば・わが大事とおもはん人人のせいし候、又おほきなる難来るべし、その時すでに此の事かなうべきにやとおぼしめして・いよいよ強盛なるべし、さるほどならば聖霊・仏になり給うべし、成り給うならば来りてまほり給うべし、其の時一切は心にまかせんずるなり、かへす・がへす人のせいしあらば心にうれしくおぼすべし、恐恐謹言。

  五月三日                      日蓮花押

   上野殿御返事

上野殿御返事

                    建治元年七月 五十四歳御作

むぎひとひつ・かわのり五条・はじかみ六十給了んぬ、いつもの御事に候へばをどろかれず・めづらしからぬやうにうちをぼへて候は・ぼむぶの心なり、せけんそうそうなる上ををみやのつくられさせ給へば・百姓と申し我が内の者と申し・けかちと申し・ものつくりと申し・いくそばくいとまなく御わたりにて候らむに・山のなかの・すまゐさこそと思ひやらせ給いて・鳥のかい子をやしなふが如く・灯に油をそふるがごとく・かれたる草に雨のふるが如く・うへたる子に乳をあたふるが如く・法華経の御命をつがせ給う事・三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり、十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし、尊しとも申す計りなし、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

  七月十二日                     日蓮花押

   進上 上野殿御返事