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日蓮大聖人・池田大作

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南条殿御返事  (1/4) せんするところは・こなんでうどのの法華経の…
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南条殿御返事

                    建治二年三月 五十五歳御作

かたびら一つ・しをいちだ・あぶら五そう・給び候い了んぬ、ころもはかんをふせぎ又ねつをふせぐ・みをかくし・みをかざる、法華経の第七やくわうぼんに云く「如裸者得衣」等云云、心ははだかなるものの・ころもをへたるがごとし、もんの心はうれしき事をとかれて候。

ふほうぞうの人のなかに商那和衆と申す人あり衣をきてむまれさせ給う、これは先生に仏法にころもを・くやうせし人なり、されば法華経に云く「柔和忍辱衣」等云云、こんろん山には石なし・みのぶのたけにはしをなし、石なきところには・たまよりも・いしすぐれたり、しをなきところには・しを・こめにもすぐれて候、国王のたからは左右の大臣なり・左右の大臣をば塩梅と申す、みそしを・なければよわたりがたし・左右の臣なければ国をさまらず、あぶらと申すは・涅槃経に云く風のなかに・あぶらなし・あぶらのなかに・かぜなし・風をぢする第一のくすりなり、かたがたのものをくり給いて候御心ざしのあらわれて候事申すばかりなし、せんするところは・こなんでうどのの法華経の御しんようのふかかりし事のあらわるるか、王の心ざしをば臣のべ・をやの心ざしをば子の申しのぶるとはこれなり、あわれことのの・うれしと・をぼすらん

つくしにををはしの太郎と申しける大名ありけり、大将どのの御かんきを・かほりて・かまくらゆひのはまつちのろうにこめられて十二年めしはじしめられしとき・つくしをうちいでしに・ごぜんにむかひて申せしは・ゆみやとるみとなりて・きみの御かんきを・かほらんことは・なげきならず、又ごぜんに・をさなくよりなれしかいまはなれん事いうばかりなし、これはさてをきぬ、なんしにても・によしにても一人なき事なげきなり、ただしくわい


にんのよし・かたらせ給う・をうなごにてやあらんずらん・をのこごにてや候はんずらん、ゆくへをみざらん事くちおし、又かれが人となりて・ちちというものも・なからんなげき、いかがせんとをもへども・力及ばずとていでにき。

かくて月ひすぐれ・ことゆへなく生れにき・をのこごにてありけり、七歳のとし・やまでらにのぼせてありければ・ともだちなりけるちごども・をやなしとわらひけり、いへにかへりて・ははにちちをたづねけり、ははのぶるかたなくして・なくより外のことなし、此のちご申す天なくしては雨ふらず・地なくしてはくさをいず、たとい母ありとも・ちちなくばひととなるべからず、いかに父のありどころをば・かくし給うぞとせめしかば・母せめられて云うわちごをさなければ申さぬなり・ありやうはかうなり、此のちごなくなく申すやう・さてちちのかたみはなきかと申せしかば、これありとて・ををはしのせんぞの日記・ならびにはらの内なる子に・ゆづれる自筆の状なり、いよいよをやこひしくて・なくより外の事なし、さて・いかがせんといゐしかば・これより郎従あまた・ともせしかども・御かんきをかほりければ・みなちりうせぬ、そののちは・いきてや又しにてや・をとづるる人なしと・かたりければ・ふしころび・なきて・いさむるをも・もちゐざりけり。

ははいわく・をのれをやまでらにのぼする事は・をやのけうやうのためなり、仏に花をもまいらせよ・経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかば・いそぎ寺にのぼりて・いえへかへる心なし、昼夜に法華経をよみしかば・よみわたりけるのみならず・そらにをぼへてありけり、さて十二のとし出家をせずして・かみをつつみ・とかくしてつくしをにげいでて・かまくらと申すところへたづねいりぬ。

八幡の御前にまいりて・ふしをがみ申しけるは・八幡大菩薩は日本第十六の王・本地は霊山浄土に法華経をとかせ給いし教主釈尊なり、衆生のねがいをみて給わんがために神とあらわれさせ給う、今わがねがいみてさせ給


え、をやは生きて候か、しにて候かと申して・いぬの時より法華経をはじめて・とらの時までに・よみければ・なにとなき・をさなきこへはうでんに・ひびきわたり・こころすごかりければ・まいりてありける人人も・かへらん事をわすれにき、皆人いちのやうに・あつまりてみければ・をさなき人にて法師ともをぼえず・をうなにてもなかりけり。

をりしも・きやうのにゐどの御さんけいありけり、人めをしのばせ給いてまいり給いたりけれども御経のたうとき事つねにもすぐれたりければはつるまで御聴聞ありけりさてかへらせ給いておはしけるがあまりなごりをしさに人をつけてをきて大将殿へかかる事ありと申させ給いければめして持仏堂にして御経よませまいらせ給いけり。

さて次の日又御聴聞ありければ西のみかど人さわぎけり、いかなる事ぞとききしかば・今日はめしうどの・くびきらるると・ののしりけり、あわれ・わがをやは・いままで有るべしとは・をもわねども・さすが人のくびをきらるると申せば・我が身のなげきとをもひて・なみだぐみたりけり、大将殿あやしと・ごらんじて・わちごはいかなるものぞ・ありのままに申せとありしかば・上くだんの事・一一に申しけり、をさふらひにありける大名・小名・みすの内みな・そでをしぼりけり、大将殿・かぢわらをめして・をほせありけるは・大はしの太郎という・めしうど・まいらせよとありしかば・只今くびきらんとて・ゆいのはまへ・つかわし候いぬ、いまはきりてや候らんと申せしかば・このちご御まへなりけれども・ふしころびなきけり、ををせのありけるは・かぢわらわれと・はしりて・いまだ切らずばぐしてまいれとありしかば・いそぎ・いそぎゆいのはまへ・はせゆく、いまだいたらぬに・よばわりければ・すでに頸切らんとて刀をぬきたりけるとき・なりけり。

さてかじわら・ををはしの太郎を・なわつけながら・ぐしてまいりて・ををにはにひきすへたりければ・大将殿こ