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日蓮大聖人・池田大作

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中興入道消息  (3/4) 上ににくまれたる上・万民も父母のかたきのや…
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の如く申す程に大海の浮木の風に随いて定めなきが如く・軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く・日本国ををはれあるく程に、或時はうたれ・或時はいましめられ・或時は疵をかほふり・或時は遠流・或時は弟子をころされ・或時はうちをはれなんどする程に、去ぬる文永八年九月十二日には御かんきをかほりて北国佐渡の島にうつされて候いしなり、世間には一分のとがも・なかりし身なれども・故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を地獄に堕ちたりと申す法師なれば謀叛の者にも・すぎたりとて・相州・鎌倉・竜口と申す処にて頸を切らんとし候いしが・科は大科なれども法華経の行者なれば左右なくうしなひなば・いかんがとや・をもはれけん、又遠国の島にすてをきたるならば・いかにもなれかし。

上ににくまれたる上・万民も父母のかたきのやうに・おもひたれば・道にても・又国にても・若しはころすか若しはかつえしぬるかに・ならんずらんと・あてがはれて有りしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん、或は天とがなきよしを御らんずるにや・ありけん、島にて・あだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき、彼の人は年ふりたる上心かしこく身もたのしくて国の人にも人と・をもはれたりし人の・此の御房は・ゆへある人にやと申しけるかのゆへに・子息等もいたうもにくまず、其の已下の者ども・たいし彼等の人人の下人にてありしかば内内あやまつ事もなく唯上の御計いのままにて・ありし程に、水は濁れども又すみ・月は雲かくせども・又はるることはりなれば、科なき事すでに・あらわれて・いゐし事もむなしからざりけるかの・ゆへに、御一門・諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども・相模守殿の御計らひばかりにて・ついにゆりて候いて・のぼりぬ、ただし日蓮は日本国には第一の忠の者なり肩をならぶる人は先代にもあるべからず・後代にもあるべしとも覚えず。

其の故は去ぬる正嘉年中の大地震・文永元年の大長星の時・内外の智人・其の故をうらなひしかども・なにのゆ


へ・いかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮・一切経蔵に入りて勘へたるに・真言・禅宗・念仏・律等の権小の人人をもつて法華経をかろしめ・たてまつる故に・梵天・帝釈の御とがめにて西なる国に仰せ付けて日本国をせむべしとかんがへて、故最明寺入道殿にまいらせ候いき、此の事を諸道の者・をこつきわらひし程に・九箇年すぎて去ぬる文永五年に大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状わたりぬ、此の事のあふ故に念仏者・真言師等あだみて失はんとせしなり、例せば漢土に玄宗皇帝と申せし御門の御后に上陽人と申せし美人あり、天下第一の美人にてありしかば楊貴妃と申すきさきの御らんじて・此の人王へまいるならば我がをぼへをとりなんとて宣旨なりと申しかすめて、父母・兄弟をば或はながし・或は殺し・上陽人をばろうに入れて四十年まで・せめたりしなり、此れもそれににて候、日蓮が勘文あらわれて大蒙古国を調伏し日本国かつならば此の法師は日本第一の僧となりなん、我等が威徳をとろうべしと思うかのゆへに讒言をなすをばしろしめさずして、彼等がことばを用いて国を亡さんとせらるるなり、例せば二世王は趙高が讒言によりて李斯を失ひかへりて趙高が為に身をほろぼされ、延喜の御門はしへいのをとどの讒言によりて菅丞相を失いて地獄におち給いぬ、此れも又かくの如し、法華経のかたきたる真言師・禅宗・律僧・持斎・念仏者等が申す事を御用いありて日蓮をあだみ給うゆへに、日蓮はいやしけれども所持の法華経を釈迦・多宝・十方の諸仏・梵天・帝釈・日月・四天・竜神・天照太神・八幡大菩薩・人の眼をおしむがごとく・諸天の帝釈をうやまうがごとく・母の子を愛するがごとく・まほりおもんじ給うゆへに、法華経の行者をあだむ人を罰し給う事・父母のかたきよりも朝敵よりも重く大科に行ひ給うなり。  

然るに貴辺は故次郎入道殿の御子にて・をはするなり・御前は又よめなり・いみじく心かしこかりし人の子と・よめとにをはすればや、故入道殿のあとをつぎ国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず・法華経の行者をやしなはせ給いて・としどしに千里の道をおくりむかへ・去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばを


たてて其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕して・をはしませば、北風吹けば南海のいろくづ其の風にあたりて大海の苦をはなれ・東風きたれば西山の鳥鹿・其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん、況や・かのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや、過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし・孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事・水すめば月うつり・つづみをうてば・ひびきのあるがごとしと・をぼしめし候へ等云云、此れより後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ。

  弘安二年己卯十一月卅日           身延山 日蓮花押

   中興入道殿女房

是日尼御書

さどの国より此の甲州まで入道の来りたりしかば・あらふしぎとをもひしに・又今年来りなつみ水くみたきぎこりだん王の阿志仙人につかへしが・ごとくして一月に及びぬる不思議さよ、ふでをもちてつくしがたし、これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし、又御本尊一ふくかきてまいらせ候、霊山浄土にては・かならずゆきあひ・たてまつるべし、恐恐謹言。

  卯月十二日                     日蓮

   尼是日