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日蓮大聖人・池田大作

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光日房御書  (3/6) うらしまが子のはこなれや・あけてくやしきも…
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馬烏のれい・日蔵上人の・山がらす・かしらもしろく・なりにけり、我がかへるべき・時やきぬらん・とながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状・同三月八日に佐度の国につきぬ・同十三日に国を立ちてまうらというつにをりて十四日は・かのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまりのつに・つくべきが大風にはなたれ・さいわひにふつかぢをすぎてかしはざきにつきて、次の日はこうにつき・中十二日をへて三月二十六日に鎌倉へ入りぬ、同じき四月八日に平左衛門尉に見参す、本より・ごせし事なれば日本国のほろびんを助けんがために三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわるべきよし存ぜしゆへに同五月十二日に鎌倉をいでぬ。

但し本国にいたりて今一度・父母のはかをも・みんと・をもへども・にしきをきて故郷へは・かへれといふ事は内外のをきてなり、させる面目もなくして本国へ・いたりなば不孝の者にてや・あらんずらん、これほどのかたかりし事だにも・やぶれて・かまくらへかへり入る身なれば又にしきを・きるへんもや・あらんずらん、其の時父母のはかをもみよかしと・ふかくをもうゆへに・いまに生国へはいたらねども・さすがこひしくて吹く風・立つくもまでも東のかたと申せば庵をいでて身にふれ庭に立ちてみるなり、かかる事なれば故郷の人は設い心よせにおもはぬ物なれども我が国の人といへば・なつかしくて・はんべるところに・此の御ふみを給びて心もあらずして・いそぎいそぎひらきてみ候へば・をととしの六月の八日にいや四郎にをくれてと・かかれたり、御ふみも・ひらかざりつるまでは・うれしくて・ありつるが、今此のことばを・よみてこそ・なにしにかくいそぎひらきけん・うらしまが子のはこなれや・あけてくやしきものかな、我が国の事はうくつらく・あたりし人のすへまでも・をろかならずをもうに・ことさら此の人は形も常の人には・すぎてみへ・うちをもひたるけしきも・かたくなにも・なしと見えしかども、さすが法華経のみざなれば・しらぬ人人あまたありしかば言もかけずありしに、経はてさせ給いて皆人も立ちかへる、此の人も立ちかへりしが使を入れて申せしは安房の国の・あまつと申すところの者にて候が、をさなくよ


り御心ざし・をもひまいらせて候上母にて候人も・をろかならず申しなれなれしき申し事にて候へども・ひそかに申すべき事の候、さきざきまひりて次第になれまいらせてこそ申し入るべきに候へども・ゆみやとる人に・みやづかひて・ひま候はぬ上事きうになり候いぬる上は・をそれを・かへりみず申すと・こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上そのあたりの事は・はばかるべきにあらずとて入れたてまつりて・こまごまと・こしかたゆくすへかたりてのちには世間無常なりいつと申す事をしらず、其の上武士に身をまかせたる身なり又ちかく申しかけられて候事のがれがたし、さるにては後生こそをそろしく候へ・たすけさせ給へと・きこへしかば経文をひいて申しきかす、彼のなげき申せしは父はさてをき候いぬ、やもめにて候はわをさしをきて前に立ち候はん事こそ不孝にをぼへ候へ、もしやの事候ならば御弟子に申しつたへてたび候へと・ねんごろに・あつらへ候いしが、そのたびは事ゆへなく候へけれども後にむなしくなる事のいできたりて候いけるにや、人間に生をうけたる人上下につけてうれへなき人はなけれども時にあたり人人にしたがひて・なげき・しなじななり、譬へば病のならひは何の病も重くなりぬれば是にすぎたる病なしと・をもうがごとし、主のわかれ・をやのわかれ夫妻のわかれ・いづれか・おろかなるべき・なれども主は又他の主もありぬべし、夫妻は又かはりぬれば心をやすむる事もありなん、をやこのわかれこそ月日のへだつるままに・いよいよ・なげきふかかりぬべくみへ候へ、をやこのわかれにも・をやはゆきて・子は・とどまるは同じ無常なれども・ことはりにもや、をひたるはわは・とどまりて・わきき子のさきにたつ・なさけなき事なれば神も仏もうらめしや、いかなれば・をやに子をかへさせ給いてさきには・たてさせ給はず・とどめをかせ給いて・なげかさせ給うらんと心うし、心なき畜生すら子のわかれしのびがたし、竹林精舎の金鳥は・かひこのために身をやき鹿野苑の鹿は胎内の子を・をしみて王の前にまいれり、いかにいわうや心あらん人にをいてをや、されば王陵が母は子のためになつきをくだき、神堯皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ


給いき、此等を・をもひ・つづけさせ給はんには火にも入り頭をもわりて我が子の形をみるべきならば・をしからずとこそ・おぼすらめとをもひやられて・なみだもとどまらず。

又御消息に云く人をも・ころしたりし者なればいかやうなる・ところにか生れて候らん・をほせをかほり候はんと云云、夫れ針は水にしずむ雨は空にとどまらず、蟻子を殺せる者は地獄に入り死にかばねを切れる者は悪道をまぬかれず、何に況や人身をうけたる者を・ころせる人をや、但し大石も海にうかぶ船の力なり大火も・きゆる事水の用にあらずや、小罪なれども懺悔せざれば悪道をまぬがれず、大逆なれども懺悔すれば罪きへぬ、所謂る粟をつみたりし比丘は五百生が間・牛となる、苽をつみし者は三悪道に堕ちにき、羅摩王・抜提王・毘楼真王・那睺沙王・迦帝王・毘舎佉王・月光王・光明王・日光王・愛王・持多人王等の八万余人の諸王は皆父を殺して位につく、善知識にあはざれば罪きへずして阿鼻地獄に入りにき、波羅奈城に悪人あり其の名をば阿逸多という母をあひせしゆへに父を殺し妻とせり、父が師の阿羅漢ありて教訓せしかば阿らかむを殺す、母又他の夫にとつぎしかば又母をも殺しつ、具に三逆罪をつくりしかば隣里の人うとみしかば、一身たもちがたくして祇洹精舎にゆいて出家をもとめしに諸僧許さざりしかば悪心強盛にして多くの僧坊をやきぬ、然れども釈尊に値い奉りて出家をゆるし給にき、北天竺に城あり細石となづく彼の城に王あり竜印という、父を殺してありしかども後に此れをおそれて彼の国をすてて仏にまいりたりしかば仏・懺悔を許し給いき、阿闍世王はひととなり三毒熾盛なり十悪ひまなし、其の上父をころし母を害せんとし提婆達多を師として無量の仏弟子を殺しぬ、悪逆のつもりに二月十五日・仏の御入滅の日にあたりて無間地獄の先相に七処に悪瘡出生して玉体しづかならず、大火の身をやくがごとく熱湯をくみかくるが・ごとくなりしに・六大臣まいりて六師外道を召されて悪瘡を治すべきやう申しき、今の日本国の人人の禅師・律師・念仏者・真言師等を善知識とたのみて蒙古国を調伏し後生をたすからんとをもうがごとし、其の