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日蓮大聖人・池田大作

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上野殿御返事  (2/2) ただし・ないないは法華経をあだませ給うにて…
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まるるかのゆへに・あつわらのものに事をよせて・かしこ・ここをもせかれ候こそ候いめれ、さればとて上に事をよせて・せかれ候はんに御もちゐ候はずは物をぼへぬ人に・ならせ給うべし・をかせ給いて・あしかりぬべきやうにて候わば・しばらく・かうぬし等をば・これへとをほせ候べし、めこなんどはそれに候とも・よも御たづねは候はじ、事のしづまるまで・それに・をかせ給いて候わば・よろしく候いなんと・をぼへ候。

よのなか上につけ下によせて・なげきこそををく候へ、よにある人人をば・よになき人人は・きじの・たかをみ・がきの毘沙門をたのしむがごとく候へども・たかはわしにつかまれ、びしやもんは・すらにせめらる、そのやうに当時・日本国のたのしき人人は蒙古国の事をききては・ひつじの虎の声を聞くがごとし、また筑紫へおもむきて・いとをしきめを・はなれ子をみぬは・皮をはぎ・肉をやぶるが・ごとくにこそ候らめ、いわうや・かの国より・おしよせなば蛇の口のかえる・はうちやうしがまないたに・をける・こゐふなのごとくこそおもはれ候らめ、今生はさてをきぬ・命きえなば一百三十六の地獄に堕ちて無量劫ふべし、我等は法華経をたのみまいらせて候へば・あさきふちに魚のすむが・天くもりて雨のふらんとするを魚のよろこぶが・ごとし。

しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし、国王一人の太子のごとし・いかでか位につかざらんと・おぼしめし候へ、恐恐謹言。

  弘安三年七月二日                  日蓮花押

   上野殿御返事

  人にしらせずして、ひそかにをほせ候べし。


上野殿御返事

女子は門をひらく・男子は家をつぐ・日本国を知つても子なくは誰にか・つがすべき、財を大千にみてても子なくば誰にかゆづるべき、されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ、内典五千余巻には子なき人を貧人といふ、女子一人・男子一人・たとへば天には日月のごとく・地には東西にかたどれり、鳥の二つのはね・車の二つのわなり、さればこの男子をば日若御前と申させ給へ、くはしくは又又申すべし。

  弘安三年八月二十六日                日蓮花押

   上野殿御返事

南条殿御返事

はくまいひとふくろ・いも一だ給び了んぬ、抑故なんでうの七らうごらうどのの事、いままでは・ゆめかゆめか・まぼろしか・まぼろしかとうたがいて・そらごととのみをもひて候へば・此の御ふみにも・あそばされて候、さては、まことかまことかとはじめて・うたがいいできたりて候。


上野殿御書

大海の一渧は五味のあぢわい・江河の一渧は一つの薬なり、大海の一渧は万種の瓦のごとし、南無阿弥陀仏は一河の一渧・南無妙法蓮華経は大海の一渧・阿弥陀経は小河の一渧・法華経の一乗は大海の一てい、故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾の間の南無妙法蓮華経は大海の一ていのごとし、夫れ以れば華はつぼみさいて菓なる、をやは死にて子にになわる、これ次第なり。

上野殿御書

南条七郎五郎殿の御死去の御事、人は生れて死するならいとは智者も愚者も上下一同に知りて候へば・始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし・我も存じ人にもをしへ候へども・時にあたりて・ゆめか・まぼろしか・いまだわきまへがたく候、まして母のいかんがなげかれ候らむ、父母にも兄弟にも・をくれはてて・いとをしきをとこに・すぎわかれたりしかども・子ども・あまたをはしませば心なぐさみてこそ・をはしつらむ、いとをしき・てこご・しかもをのこご・みめかたちも人にすぐれ心も・かいがいしくみへしかば・よその人人も・すずしくこそみ候いしに・あやなく・つぼめる花の風にしぼみ・満つる月の・にわかに失たるがごとくこそをぼすらめ、まこととも・をぼへ候はねば・かきつくるそらも・をぼへ候はず、又又申すべし、恐恐謹言。

  弘安三年九月六日                  日蓮花押

上野殿御返事

 追申、此の六月十五日に見奉り候いしに・あはれ肝ある者かな男や男やと見候いしに・又見候はざらん事こそ