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日蓮大聖人・池田大作

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善無畏三蔵抄  (4/10) 日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆…
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光を備へ給へる故なり、螢火は未だ国土を照さず宝珠は懐中に持ぬれば万物皆ふらさずと云う事なし、瓦石は財をふらさず念仏等は法華経の題目に対すれば瓦石と宝珠と螢火と日光との如し。

我等が昧き眼を以て螢火の光を得て物の色を弁ふべしや、旁凡夫の叶いがたき法は念仏・真言等の小乗権経なり、又我が師・釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり、此の娑婆・無仏の世の最先に出でさせ給いて一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり、東西十方の諸仏・菩薩も皆此の仏の教なるべし、譬えば皇帝已前は人・父をしらずして畜生の如し、堯王已前は四季を弁へず牛馬の癡なるに同じかりき、仏世に出でさせ給はざりしには比丘・比丘尼の二衆もなく只男女二人にて候いき、今比丘・比丘尼の真言師等・大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し念仏者等が阿弥陀仏を一向に持つて釈迦如来を抛てたるも教主釈尊の比丘・比丘尼なり元祖が誤を伝え来るなるべし。

此の釈迦如来は三の故ましまして他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ、一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします、阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず釈迦仏は譬えば我が国の主上のごとし先ず此の国の大王を敬つて後に他国の王をば敬ふべし、天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり迹化の後・神と顕れさせ給ふ、此の神にそむく人・此の国の主となるべからず、されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す、八幡大菩薩に勅使有つて物申しあはさせ給いき、大覚世尊は我等が尊主なり先づ御本尊と定むべし、二には釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母なり、先づ我が父母を孝し後に他人の父母には及ぼすべし、例せば周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り殷の紂王をうつ、舜王は父の眼の盲たるをなげきて涙をながし手をもつて・のごひしかば本のごとく眼あきにけり、此の仏も又是くの如く我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給いしか、いまだ他仏は開き給はず、三には此の仏は娑婆世界の一切衆生の本師な


り、此の仏は賢劫第九・人寿百歳の時・中天竺・浄飯大王の御子・十九にして出家し三十にして成道し五十余年が間一代聖教を説き八十にして御入滅・舎利を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ、阿弥陀如来・薬師仏・大日等は他土の仏にして此の世界の世尊にてはましまさず、此の娑婆世界は十方世界の中の最下の処・譬えば此の国土の中の獄門の如し、十方世界の中の十悪・五逆・誹謗正法の重罪・逆罪の者を諸仏如来・擯出し給いしを釈迦如来・此の土にあつめ給ふ、三悪並びに無間大城に堕ちて其の苦をつぐのひて人中天上には生れたれども其の罪の余残ありてややもすれば正法を謗じ智者を罵り罪つくりやすし、例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり、畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ、難陀は婬欲を断じても女人に交る心あり、煩悩を断じたれども余残あり何に況や凡夫にをいてをや、されば釈迦如来の御名をば能忍と名けて此の土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり、此等の秘術は他仏のかけ給へるところなり、阿弥陀仏等の諸仏世尊・悲願をおこさせ給いて心にははぢをおぼしめして還つて此の界にかよひ四十八願・十二大願なんどは起させ給ふなるべし、観世音等の他土の菩薩も亦復是くの如し、仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども常差別の時は各各に十方世界に土をしめて有縁無縁を分ち給ふ、大通智勝仏の十六王子・十方に土をしめて一一に我が弟子を救ひ給ふ、其の中に釈迦如来は此土に当り給ふ我等衆生も又生を娑婆世界に受けぬ、いかにも釈迦如来の教化をばはなるべからず而りといへども人皆是を知らず委く尋ねあきらめば唯我一人能為救護と申して釈迦如来の御手を離るべからず、而れば此の土の一切衆生・生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば必ず先ず釈尊を木画の像に顕わして御本尊と定めさせ給いて其の後力おはしまさば弥陀等の他仏にも及ぶべし。

然るを当世聖行なき此の土の人人の仏をつくりかかせ給うに先ず他仏をさきとするは其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上世間の礼儀にもはづれて候、されば優塡大王の赤栴檀いまだ他仏をば・きざ


ませ給はず、千塔王の画像も釈迦如来なり、而るを諸大乗経による人人・我が所依の経経を諸経に勝れたりと思ふ故に教主釈尊をば次さまにし給ふ、一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ念仏者等は観経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思ふ、当世はことに善導・法然等が邪義を正義と思いて浄土の三部経を指南とする故に十造る寺は八九は阿弥陀仏を本尊とす、在家・出家・一家・十家・百家・千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀なり、其の外木画の像・一家に千仏万仏まします大旨は阿弥陀仏なり、而るに当世の智者とおぼしき人人・是を見て・わざはひとは思はずして我が意に相叶ふ故に只称美讃歎の心のみあり、只一向悪人にして因果の道理をも弁へず一仏をも持たざる者は還つて失なきへんもありぬべし、我等が父母・世尊は主師親の三徳を備えて一切の仏に擯出せられたる我等を唯我一人・能為救護とはげませ給ふ、其の恩大海よりも深し其の恩大地よりも厚し其の恩虚空よりも広し、二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも身の皮を剥いで百千万・天井にはるとも涙を閼伽の水として千万億劫・仏前に花を備ふとも身の肉血を無量劫・仏前に山の如く積み大海の如く湛ふとも此の仏の一分の御恩を報じ尽しがたし。

而るを当世の僻見の学者等・設ひ八万法蔵を極め十二部経を諳んじ大小の戒品を堅く持ち給ふ智者なりとも此の道理に背かば悪道を免るべからずと思食すべし、例せば善無畏三蔵は真言宗の元祖・烏萇奈国の大王・仏種王の太子なり、教主釈尊は十九にして出家し給いき此の三蔵は十三にして位を捨て月氏・七十箇国・九万里を歩き回りて諸経・諸論・諸宗を習い伝へ北天竺・金粟王の塔の下にして天に仰ぎ祈請を致し給えるに虚空の中に大日如来を中央として胎蔵界の曼荼羅・顕れさせ給ふ、慈悲の余り此の正法を辺土に弘めんと思食して漢土に入り給ひ玄宗皇帝に秘法を授け奉り旱魃の時雨の祈をし給いしかば三日が内に天より雨ふりしなり、此の三蔵は千二百余尊の種子・尊形三摩耶・一事も・くもりなし、当世の東寺等の一切の真言宗・一人も此の御弟子に非るはなし、而るに